今日は、1・2歳児も一緒に運動会全体練習です。入場行進は、お兄さん、お姉さんと手をつないで、堂々と入場です。そして、運動会の一番最後に、園児も保護者も先生たちも一緒に、あのフォークダンスの王道「マイムマイム」を踊ります。単調な曲の繰り返しですが、子どもたちには、大いに響いたようで、さっそくおうちに帰ったら、ママパパに教えるのでしょう。
さて、今から60年前の10月1日に、東京オリンピック開催にギリギリ間に合うタイミングで、夢の超特急が開通しました。昭和39年は、私が生まれた年なんですが、新幹線・東京オリンピック・首都高速道路と、日本の高度成長期を支える、大きな一年となりました。
東京・名古屋・大阪の3大都市を結び、日本の経済・社会の発展とともに走り続けてきた東海道新幹線ですが、これまでのべ約70億人が利用しました。開業以来、乗車中に脱線や衝突などの列車事故で死亡した乗客がゼロというのも有名な話ですね。「団子っ鼻」で人気を博した初代0系は、営業列車として世界で初めて210キロでの走行を達成しました。
新大阪駅から東京駅へ向かう東海道新幹線の一番列車「ひかり2号」の運転士を務めた大石さんは、現在91歳ですが、当時を振り返ります。大石さんは、あえて京都市内のトンネルをゆっくりと走り、遅れを取り戻すための回復運転で、大津市付近の直線で速度をあげます。次の瞬間、速度計の針は210キロを指しました。時間調整のため、東京・新橋近くを減速して走っていると、ビルの窓から顔を出したサラリーマンがハンカチを揺らして歓迎してくれたそうです。一番列車は、予定通りの午前10時ぴったりに東京駅のホームに滑り込んだそうです。当時は、東京ー新大阪間は4時間かかっていました。現在のN700S系の最新車両の営業最高時速285キロで、2時間25分です。
東海道新幹線の成功は、世界の鉄道計画に大きな影響を与えました。フランスでは、1981年に高速鉄道の「TGV」が、1991年にはドイツで「ICE」が相次いで開業します。技術面では、海外輸出第一号となった「台湾新幹線」が2007年に開業。日本の車両技術や信号システムを採用しています。
新幹線開業当時は「国鉄」でしたが、1987年に民営化されると、JR東海が東海道新幹線の事業を引き継ぎます。みんながよく知っている東京駅は、JR東日本の駅ですが、東海道新幹線のホームは、JR東海の管轄となり、ホームの売店もJR東日本の東北・上越・北陸新幹線とは、微妙に違います。
みなさんは、そんな東海道新幹線を利用していますか。私は、サラリーマン時代に、東京から神戸の本社まで、新幹線の日帰り出張が常でした。もう数えきれないくらい、東海道新幹線を利用しました。硬すぎる車内販売のアイスクリームも大好きでした。(笑)新幹線は、東京ー大阪間の日帰り出張を可能にしたのです。
2027年東京ー名古屋間開通を目指す、リニア中央新幹線は、ほぼ地下鉄です。タイムイズマネーのビジネス需要や500キロを体験したい人にはいいですが、東海道新幹線が無くなることはありません。ひかり号やこだま号が増えて、地域密着の新幹線になるかもしれませんね。
日本が世界に自慢できるモノの一つは、間違いなく「新幹線」です。今後は、どんな姿に進化していくのか・・・楽しみですね。