昨日の「夏まつりオンステージ」・・・連絡ノートには、保護者の感想がびっしりです。ステージでの子どもたちの頑張りに涙し、神輿を担ぐ子どもたちも、初めての経験ということもあり、親が興奮してしまったようです。ともあれ、素敵な思い出になって何よりです。今日は、卒園児の小学生が6人登園しましたが、夏休みも明日までです。この週末は、宿題の追い込みに頑張ったようです。切羽詰まった状況では、「やっつけ仕事」か「充実作品」になるか、二極化するようです。(笑)
さて、最近の映画です。ドイツのイルケル・チャタク監督の「ありふれた教室」について紹介します。ドイツのある中学校で発生した盗難事件。生徒思いで正義感あふれる女性教師カーラは、真相を究明しようと奮闘します。しかし、この映画は、犯人捜しから真実を明らかにする内容ではありません。学校という環境で、この物語は進んでいきますが、私たちの社会にも起こりうる内容であることを示唆しています。
カーラのクラスの生徒に疑いがかかります。生徒への疑いを晴らすために、カーラは自分の財布を職員室に置き、パソコンの録画モードで撮影します。そこに映っていたのは、お金が抜き取られる場面とある職員の服の一部です。顔は映っていません。その職員は、行為を全面否定し、疑念を受けたことに激怒し、息子の手を引き学校を飛び出します。この息子は、カーラが担任するクラスの生徒です。
うわさはすぐに学校全体に広がり、カーラの立場を追い詰めます。正義を証明することができないカーラに対して、周囲の勝手な解釈やフェイクが追い打ちをかけるのです。
組織管理の立場から、寛容主義にはなれない学校経営と、寛容であるべきという教育主義の葛藤。それに伴う教員間の対立。やがて、それが生徒や保護者とのあつれきとなり、カラーはどんどん追い詰められていきます。抑圧と孤立のなかで、主人公のカーラは、もがき苦しむのです。
この映画のタイトルは「ありふれた教室」です。つまり、世界のどの学校のどのクラスでも、起こりえることなのです。そして、学校は、社会の縮図として位置付けられます。
この映画でも描かれるのは、ネット上の心ない書き込み、炎上です。匿名であると、人間は卑劣な言葉で相手を追い詰めることに、何の抵抗も感じなくなります。フェイクニュースで世の中が混乱させても罪悪感を持ちません。相手が分かっている場合でも、メールやラインの言葉は、お互いの解釈の相違で、プラスにもマイナスにも受け取られます。
携帯電話が普及した、今から30年以上前から、「人の感情に関する内容を決してメールでやり取りしてはいけない。必ず、フェイスツーフェイスで行うように」と言われてきました。文章では、発信する側と受け取る側では、解釈が変わってくるからです。
今の世の中・・・正しい情報とフェイクが交錯する中で、真実を問い続けることが、昔とは比較にならないくらい難しくなっています。それでも、真実の中にだけ、答えはあるのです。