優劣のかなたに

今日は、「猛暑日」まで気温が上がらなかったので、お昼の園長課外授業では、アスレチックのある公園に遊びにいきました。1年生のクラスの中には、すでにメガネをかけている友だちが多くいるそうです。スマホやゲームをする時間を昭和の子どもたちのように外遊びにシフトすれば、視力低下が回避できるのでしょうが、夏休みは、猛暑で外遊びができない昨今・・・難しい問題です。もう一つ、海水浴客が激減しているそうです。清潔なイメージのプールにシフトしているとのこと。私が子どもの頃は、磯遊びは最高の時間でした。生き物に興味を持つ機会も、今の子どもたちは減っているのかもしれません。ここは、親の行動次第です。

 

お金をかけずに、「超感動!」を親子で経験するには、夜の公園に行ってください。そこでは、セミが羽化するシーンを見ることができます。カブトムシに出会うよりも確率は高いです。5年以上かけて土の下で生活したセミの幼虫が、夜に、真っ白な羽を伸ばして羽化するシーンは、間違いなく、子どもの心に残る「夏の思い出」になります。

 

さて、今日は、国語研究の巨匠である、大村はまさんの詩「優劣のかなたに」を紹介します。

 

優か劣か そんなことが話題になる そんなすきまのない つきつめた姿。

持てるものを 持たされたものを 出し切り 生かし切っている そんな姿こそ。

優か劣か、自分はいわゆるできる子なのか できない子なのか、

そんなことを 教師も子どもも しばし忘れて、学びひたり 教えひたっている

そんな世界を 見つめてきた。学びひたり 教えひたる、それは 優劣のかなた。

ほんとうに 持っているもの 授かっているものを出し切って、打ち込んで学ぶ。

優劣を論じ合い 気にしあう世界ではない、優劣を忘れて 

ひたすらな心で ひたすらに励む。今はできるできないを 気にしすぎて、

持っているものが 出し切れていないのではないか

授かっているものが 生かし切れていないのではないか。

成績をつけなければ 合格者をきめなければ、それはそうだとしても それだけの世界。

教師も子どもも 優劣の中で あえいでいる。

学びひたり 教えひたろう 優劣のかなたで 

 

優劣を論じあい、気にしあう世界ではなく、子どもたちが、本当に持っているもの、授かっているものを出し切る学びが大切だという内容ですが、世の中には、どうしても順位をつかなければならない時があります。しかし、私たち大人は、人と比べて優劣を感じるのではなく、「自分」をしっかりと見つめ、「自分」を大切にし、違う他者を受け入れて生きてほしいと願い、子どもたちと接していきたいですね。私たち大人も同じです。