時間の使い方③~幸福の時間を増やす~その2

昨日は、盆の入りでした。両親の墓参りに行くと、提灯を持つ人が、先祖を連れて帰っています。あぜ道では、何人かの子どもたちが、先頭で提灯を持って歩いています。それぞれの地域でお盆の風習は、色々な形があると思いますが、我が家は、迎え火を焚いて、キュウリとナスを馬と牛に見立てて、両親を迎えました。仏壇もいつよりは派手に飾ります。みなさんのお盆の風習は、どんな形ですか。

 

さて、「時間の使い方」のつづきです。幸せな時間を多くしたいのはやまやまですが、私たちは、日々「やらなければいけないこと」が多すぎますね。とくに、まじめな人ほど、やらなければいけない時間を多く過ごしているような気がします。それで、心も体も壊してしまったら、どうにもなりません。

 

それじゃ・・・時間を「遊び化」してしまって、幸福の時間を増やせばいいと思えば、「仕事もせずに遊んでばかりいる」とか「遊ばないで仕事しろ」と言われてしまいます。これは、オランダの歴史家「ホイジンガ」が1938年に提唱した考え方ですが、「遊ぶこと」は、もともと人間に組み込まれた本能であり、人間の本質だと。まさに、保育園の子どもたちを見てると、遊ぶことが仕事ですので、ピッタリ当てはまります。まじめな取り組みと遊ぶ心のバランスが難しいところです。

 

 「幸せの時間」は、人によっても、そのタイミングによっても、色々と変わっていきますが、大きく2つ、「長続きする幸せ」と「長続きしない幸せ」に分けられます。「長続きしない幸せ」は、所得や資産、社会的地位など、地位財産による幸せで、周りの人と比較することで満足感を得るものです。年収が高く、人よりも稼いでいても、それが継続するわけではありませんね。会社の役職が無くなったら、誰もついてこなくなった悲しいサラリーマンもたくさんいます。

 

一方で、「長続きする幸せ」は、最近よく言われる「ウェル・ビーイング」と呼ばれるものです。「楽しい・うれしい・感謝の気持ち・時間を忘れて没頭する・良好な人間関係・人生の目的や意識がある・何かを達成する、成し遂げる」こんな感情によって、幸福が持続できるという考えです。

 

「幸せな時間」という言葉は、やや抽象的で個人差がありますが、「長続きする幸せ」の時間を多く持つことが、どうやら、いい時間の使い方につながりそうです。どうですか、みなさんも「長続きする」を考えて見ませんか。