今日の年長園児の連絡ノートには、保護者の皆様の感想がびっしりありました。うるさい息子が家にいないんで、ゆっくり過ごそうと言っていたママも、結局は「今頃何しているかしら?」と落ち着かない時間を過ごしたようです。母親の気持ちは、こんなものですね。
今日は、57歳の現役プロレスラーの話です。私の趣味の世界ですみません。メキシコ政府から、プロレス文化を広めたことで表彰されたウルティモ・ドラゴンこと、本名は浅井嘉浩(あさいよしひろ)日本人です。新日本プロレスのIWGPジュニアヘビー級チャンピオンにもなった実力者です。
彼のプロレス人生は順調ではありません。初代タイガーマスクこと佐山聡を見てプロレスラーになろうと思った少年は、高校卒業後新日本プロレスの入門テストを受けます。体力テストはクリアするも履歴書に178センチと身長を記入していたことがばれてしまいます。実際は170センチしかないので、体が小さいことで不合格となります。しかし、その熱意が認められ、新日本プロレスの鬼コーチ「山本小鉄」に道場での練習を許されます。「小鉄の内弟子」というポジションで、メキシコの団体、UWAでレスラーとしてのスタートをきるのです。
デビューして3年後には、日本に「逆上陸」を果たします。メキシコ仕込みのスピードと空中戦を組み合わせた攻撃はファンに支持されます。ウルティモ・ドラゴンはスペイン語で「最後の龍」という意味です。日本だけでなく、アメリカリングでも大活躍します。
選手として戦うだけでなく、1997年にはレスラー養成学校「闘龍門」をメキシコに開設し、10年間で約200人を指導します。要件不問の道場だったので、小柄で非力な若者も集まります。「力が弱ければ世界一弱いレスラーとして、お客さんを喜ばせろ」と声をかけ、個性を引き出します。
「日本で不合格になった若者をメキシコは受け入れてくれた」と、表彰後レスラー浅井嘉浩は語ります。現在も57歳で現役レスラーですが、将来の引退試合は初めてリングに立ったメキシコで行うと決めているそうです。
メキシコは、プロレスが国民的娯楽で、「ミルマスカラス」「ドスカラス」「エルカネック」「エルサント」など、皆さんも聞いたことがあるビッグネームのレスラーが世界でも活躍してきました。休日には、メキシコ市内だけで30くらいの興行が行われるそうです。神父さんがプロレスラーだったりします。
浅井嘉浩こと「ウルティモ・ドラゴン」の名前だけでも覚えていただければ・・・。