今日は朝から快晴です。いつもよりも少し早く屋上遊びを始めました。桑の木のまわりには子どもたちが集まり、マルベリーのつまみ食いが始まりました。令和の時代には、あまり見られないワイルドな光景です。そして、カメ池では、今シーズン初めての「卵」を採集しました。4つの卵を飼育ケースに入れて、子どもたちと観察します。この卵は、ニホンイシガメかクサガメか、それともイシガメクサガメハーフのウンキュウか・・・楽しみです。赤ちゃんガメ誕生は2か月後です。
さて、宿題って必要?2日目は、宿題不要派の意見を中心に聞いてもらいます。東京都庁そばの新宿区立西新宿小学校は、全学年で、毎日の宿題を昨年春から「原則なし」にしました。夏休みの読書感想文も自由研究も一律には求めていないそうです。長井校長の考えは、「児童それぞれの学習の進み度合いを踏まえず、単に計算ドリルや漢字練習を一律に課すことに疑問を感じていました。児童自身が『自分に必要なことだ』と思えない宿題では、効率は得られない」とのことです。
もちろん、西新宿小学校では、宿題なしのほったらかしではありません。「自学ノート」という取り組みを行っており、児童が自分でテーマを考えて調べたことをまとめ、先生に見せるのです。例えば、社会の授業をきっかけに中東情勢に興味を持ち、新聞記事を切り抜いて感想を書いたり、自学ノートに「長い国名」ランキングをまとめて先生に提出する児童があったそうです。ある保護者は、「宿題がないことが、興味を持ったことを掘り下げたり、遊びの中にも勉強の芽があることに気づいたりする良いきっかけにもなっています」と言います。
こうした、「宿題をなくす学校」は、各地で増えているそうです。長崎市立長崎中学校は、2022年度から一律の宿題をやめ、生徒本人が決めた内容で家庭学習に取り組んでいます。山形県新庄市や岐阜県でも自主学習に転換する動きがあるようです。
そもそも、日本での宿題の始まりは、近代的な学校の整備が進んだ、明治時代の1900年代初頭とされています。「音読・漢字・計算ドリル」といった宿題は、日本の学校教育の習慣として、根付いてしまったようです。昭和の頃は、「宿題って必要?」なんて、思う人などほとんどいなかったのかもしれませんね。
令和の今、改めて聞きますが、あなたは「宿題は必要だと思いますか?それとも、なくした方がいいですか?」
私が考えるには、夏休みの自由研究などを除いて、毎日出されるような日本の宿題の多くは、「認知能力」という、学習能力を高める内容です。これには、どうしても個人差があって、一律の宿題では、問題が発生します。ところが、自分で考える課題は「非認知能力」を高める内容です。自主性が問われるのです。
宿題がどうのこうの前に、「子どもたちに必要な学力は?」を考えると、非認知能力の割合が今後高くなっていきます。そうであれば、宿題という言い方が適切かはわかりませんが、「自分で考える」「仲間と協力する」課題をこれからは多くしていかなければならないと思います。
「従来の習慣化した宿題からの脱却・・・そして、子どもたちが自分で考える新たな課題への変換・・・」これで、決まりでしょ。