今日は、小学生が7人も集合です。屋上では、マルベリーの実をずっと採っていました。「これ、午後のおやつで食べるんだ!」と、ザルにいっぱい収穫してくれました。木に登り、収穫したマルベリーをきちんと洗うまで、自分たちでやり遂げます。さすが、小学生ですね。
さて、昨日のブログでは「リニア新幹線」の話をしましたが、今日は対極にある「寝台列車」についてです。まずは、寝台列車と聞いて、何をイメージしますか。まずは、1988年に青函トンネルが開通して、飛行機を使用しない北海道への観光需要が高まるとみて、上野-札幌間で「北斗星」・大阪-札幌間で「トワイライトエクスプレス」が相次いで導入されました。北斗星では、すでに斜陽になっていた食堂車をつないで、フランス料理のフルコースを提供しました。豪華個室寝台を連結するなどして、鉄道での移動そのものを旅として楽しんでもらう発想が、ヒットにつながりました。「北斗星」も「トワイライトエクスプレス」も豪華な「カシオペア」も廃止されてしまいますが、今でも「JR九州のななつ星」「JR東日本の四季島」「JR西日本の瑞風」らの不定期の豪華列車に引き継がれています。今でも平均倍率が14倍だそうで、なかなか予約ができない人気列車です。
では、ここで問題です。現在、唯一定期運行を続ける寝台特急は何でしょうか?それは、1998年に運行開始となった「サンライズ瀬戸・出雲」です。東京駅を一緒に出発しますが、岡山で車両が切り離されて、四国の高松と山陰の出雲に向かいます。今でも、週末は予約が取りづらい列車です。
国鉄時代の話ですが、「ブルートレイン」という言葉を聞いたことがありますか。東京から九州を結ぶ「あさかぜ」が有名ですが、専用の20系客車を製造し、編成を固定し、冷暖房を完備、窓を閉め切ることで騒音を低減、空気ばね台車で振動も抑える車両は、またたくまに大人気となりました。私も父の実家が福岡県でしたので、「はやぶさ号」に小学生の頃に乗りました。廊下通路に折りたたみイスで、ずっと車窓を眺めていました。わくわくして、眠れなかった記憶があります。しかし、ブルートレインの全盛期は長く続かず、新幹線が博多まで伸び、飛行機との競合もあり、2005年の「あさかぜ」がラストランとなりました。
世の中が、タイパ(時間対効果)を求める風潮が高くなり、夜通し、時間をかけて移動する寝台列車は減ってしまいました。しかし、旅行というものが、「非日常」の頂点とするならば、「寝台特急」「夜行列車」での旅は、「非日常」のもっとも大きな演出効果となることは間違いありません。
旅のスタイルが、さらに多様化していく今後・・・やっぱり「寝台列車」は、必要です。こう思うのは、私だけではありませんよ!個人的には、豪華寝台特急でない、座席タイプの夜行列車の復活を願う私です。上野ー青森間を走っていた夜行急行列車は、私が学生の頃には3本もありました。「八甲田(東北本線経由)」「十和田(常磐線経由)」「津軽(奥羽線経由)」・・・なんかが復活したら、たまらんのです。(笑)