昨日は、田無神社に行ってきました。少しミーハー(昭和です)な言い方をすれば、金・青・赤・白・黒の五龍神が鎮座する最強パワースポットです。そんな神社知らない?と思ったあなた。今年は「辰年」ですね。ここには5つの龍がこの神社を守っているのです。それぞれの龍には、行列ができていました。私も、しっかりと並んでお参りをします。私は、初めて参拝するので、いきなり、願い事をするのではなく、住所と名前を言って、「初めてお参りさせていただきます。よろしくおねがいします」だけにとどめます。これが、初参拝のルールです。
さて、昨日は田無近辺に、「大正10年創業のたばこ屋」という、古い看板を掲げたたばこ屋さんを見つけました。たばこの販売は、昭和も令和の今も許可制で、一定の範囲内にたばこ屋がある場合は販売許可が出ません。昭和20~30年代のたばこ屋は、たばこを売ることはもちろん、公衆電話が設置され、切手やはがきの販売も担当していました。
ところで「たばこ屋」というと、なぜかおばあちゃんが店番をしていることが多いと思いませんか?それには理由がありまして、たばこの仕入れ価格は小売価格の約9割で、利益率は、わずか1割程度しかないのです。そのために、昭和のたばこ屋は、自宅兼店舗で「小遣い稼ぎに高齢者が営むもの」と見なされていたのです。
そんなたばこは、昭和の生活習慣の中に、しっかりと根付いていました。たばこをふかしながらの会議など、どの会社でも見られたのです。私が20歳代の営業会議では、会議室が、たばこの煙でいっぱいでした。(笑)
日清戦争後の1898年(明治31年)、政府は国家収入を増やす目的で、たばこの製造販売を「国営化」し、国が喫煙を奨励したこともあって、成人男性の喫煙率は、ピーク時1966年(昭和41年)は、なんと83.7%もあったのです。昭和の終わり頃から、たばこが体に与える害悪が広く知られるようになり、喫煙者が減っていきます。昭和60年には、日本専売公社が民営化され、受動喫煙の防止を目的とした改正健康増進法が2018年(平成30年)に成立しました。令和4年の直近のデータでは、喫煙率は男性25%、女性は7%だそうです。
今では、電車の中では、喫煙することができないばかりか、駅での喫煙も禁止されるようになりました。歩きたばこはNGで、街の片隅にある喫煙所で、肩身が狭い喫煙者の姿を見るだけです。今の若者は、たばこを吸うことがオシャレとも思わないし、他の楽しいことがたくさんあるし、単純に健康リスクを考えているのでしょう。近い将来には、紙たばこは、なくなっているのかもしれませんね。