世の中は、昨日からゴールデンウイークです。テレビ報道を見ていると「安・近・短」がキーワードだそうです。安い値段で、近場を日帰りなど短いスケジュールで…といった意味です。円安で海外旅行もアジアの近場で過ごし、国内旅行も宿泊料金アップで日帰りで過ごす人が多いようです。観光地に人があふれているのは、円安で日本にやってくる外国人です。
そもそも「安近短」という言葉は、昭和の終わりにバブル崩壊で、贅沢ができない状況になり、旅行は「安近短」で過ごすということで、使われた言葉です。私のような昭和世代は、「安近短」という言葉を聞くと、昭和を思い出します。
ということで、ゴールデンウイークは、昭和の懐かしさに浸ってもらいます。日本国民に深く愛されているサザエさんは、戦前から戦後の復興期、高度成長期と日本人の心に寄り添った名作漫画です。最初は、昭和21年~49年に、夕刊フクニチ、朝日新聞など新聞紙上で連載されました。新聞で毎日掲載されたサザエさんは、当時の世相が色濃く反映されています。
今日は、昭和にあって、令和の今では、ほとんど見ることがなくなった仕事の一つ、「エレベーターガール」の話です。
昭和の女子たちの憧れの仕事の一つが、エレベーターガールでした。制服&帽子の当時の最先端の服装で百貨店のエレベーターに乗降する女性は、昭和4年に、松坂屋上野店に初めて配属されたそうです。
昭和の終わりまで、多くの百貨店のエレベーターに乗務し、運転の操作や各階の案内をしました。バブルが崩壊し平成となり、百貨店業界全体が経営不振に陥ります。人件費節減のターゲットとして、エレベーターガールが矢面に立たされます。また、誰でも簡単に操作ができるエレベーターの普及もあって、日本初のエレベーターガールを排出した、松坂屋上野店では、2007年(平成19年)に廃止となりました。
私は、入社初年度は、日本橋の三越本店に配属となったのですが、喜左衛門(きざえもん)に行くと、そこに当時、奉仕部という部署だった、エレベーターガールが昼食をとっているではありませんか。22歳の私は、同じテーブルに座ったのは言うまでもありません。(笑)ちなみに、喜左衛門(きざえもん)という言葉は、三越の隠語で「食事」という意味です。「喜左衛門に行ってきます」と言えば、「食事休憩に行ってきます」という意味です。
令和の今では、エレベーターガールは、絶滅危惧種になったと思いますか。大丈夫です。
私が知る限りでは、日本橋髙島屋で立派に仕事をしています。日本橋髙島屋には、国の重要文化財になった手動式のエレベーターがあります。このエレベーターは、エレベーターガールでないと動かせないのです。私が日本橋髙島屋を担当していた時は、必ず、1階正面入口から入店し、手動式エレベーターにリスペクトしてから仕事をしていました。(本当です)
そう、令和では、エレベーターガールの仕事は、付加価値としてお客様の支持をいただいているのです。そう簡単になくなりませんね。