日本人初のメジャーリーガー

今週は、あまり天気が良くないようです。今日も朝から雨でしたので、今週末の卒園式の練習をしっかりと行いました。「いちねんせいになったら」「さよならぼくたちのほいくえん」「みんなともだち」の3曲を子どもたちは歌いますが、歌詞もよく覚えています。卒園式は、想定外のハプニングも含めて、素敵な式にしたいですね。

 

さて、大谷翔平選手とドジャースの報道が、ここ数日にぎやかになっていますが、憶測はやめて、明日の大谷選手の発言を待つことにします。そんな、メジャーリーグのロサンゼルスドジャースに、入団した野茂英雄投手。多くの人が、メジャーリーグへの扉を開いた最大の功労者が彼だと思っています。確かに、野茂投手のおかげで、現在多くの日本人メジャーが活躍していると言っても過言ではありません。

 

しかし、日本人、いやアジア人初のメジャーリーガーは、村上雅則投手でした。村上さんが、どんな経緯でメジャーリーガーになり、どれだけの成績を残したのかは、あまり知られていませんね。

 

村上さんは、法政二校3年の夏の神奈川県大会では、エースとして準決勝で敗退します。しかし、村上さんの資質を見抜いた、南海ホークスの鶴岡監督が、村上さんの自宅を訪れて、「うちに来ればアメリカに行かせてやるよ」と言ったそうです。大学進学の予定が、その言葉で心が動き、村上さんは、1963年(昭和38年)に南海ホークスに入団し、翌春にサンフランシスコジャイアンツ傘下の1Aで野球留学生として派遣されたのです。マイナーリーグで抑え投手として活躍した村上さんは、シーズン終盤にメジャー昇格を果たすのです。20歳の村上さんは、ここにアジア人初のメジャーリーガーとなったのです。

 

メジャー1年目は、9試合登板し1勝1セーブ、防御率1.80の好成績を収めます。2年目も4勝1敗、防御率3.75の成績です。このままメジャーでプレーを続けられると思った矢先です。南海ホークスが村上さんの保有権を巡り、サンフランシスコ・ジャイアンツと対立します。結果、村上さんは南海に戻ることになり、わずか2シーズンでメジャーを去ることになったのです。

 

どうですか・・・私も、日本人最初のメジャーリーガーは村上投手であったことは聞いていましたが、こんな物語があったのは知らなかったですね。

 

村上さんは、あと5年は、アメリカでやりたかった・・・と言います。彼が、8回裏にリリーフで初登板した時、マウンドに向かう時に「リラックスしないと」と思わずハミングした曲が、当時アメリカでヒットしてた坂本九さんの「スキヤキ」(上を向いて歩こう)だったそうです。

 

もし、映像に残っているのなら、このシーンは正座して見たいですね。そして、私たちは、もう少し、日本人初のメジャーリーガー「村上雅則」をリスペクトするべきです。