女性の35年年表② 初めてのセクハラ裁判

今日は、今年最後の「燃えるゴミの日」でした。11月に保育園で行ったゴミスクールの影響で、「火曜日と金曜日は燃えるゴミの日」と覚える園児やゴミ出しをする園児も出てきたり・・・効果が継続しているようです。

 

さて、セクシャルハラスメントという言葉は、今では当たり前に使われるようになりました。私のような昭和の人間にとっては、ついつい失言をしてしまうことがあります。サラリーマン時代は、「今の発言は、セクハラですよ(笑)」なんて、冗談で済む内容でしたが、女性から指摘をされることもありました。

 

1989年に、日本で最初の「セクハラ裁判」が行われたのをご存じですか。当時は、セクシャルハラスメントという言葉はありません。

 

福岡県でライターをしていた当時32歳の晴野さんが、性的な誹謗中傷を繰り返し行い、退職に追い込んだ上司(編集長)と会社(出版社)を相手に、日本初のセクハラ裁判を起こしたのです。3年後には、晴野さんの完全勝訴となりました。この裁判は、日本におけるセクシャルハラスメントの問題を広く認知させる契機となり、1997年の男女雇用機会均等法改正で、セクシャルハラスメント防止のための事業主の配慮義務規定が盛り込まれるきっかけとなったのです。

 

「結婚したら、寿退社だね・・・」「妊娠したから、もう仕事はできないね」といった発言は、現代ではあまり言う人は少なくなりましたが、男女雇用機会均等法の改正により、「完全アウト!」となったのです。

 

私の認識では、このような発言は、男性だけでなく、少なくとも同性の女性からもあったような気がします。セクシャルハラスメントは、男性から女性が一番多く悪質ですが、女性から女性、女性から男性にも起こりうる問題ですね。

 

晴野さんは、当時上司だった編集長が、得意先との約束を破ったり、あまりにも仕事をきちんとしなかったので、自分が尻拭いをし、得意先からの信頼も大きくなったのです。それが面白くない編集長が、性的なことも含め、晴野さんのあらぬ噂を得意先や職場に言いふらし、退職に追い込んだのです。晴野さんは、最初は、諦めずに頑張ったそうです。しかし、会社の専務にこのことを相談すると、衝撃の返答があったのです。

 

『晴野君は確かに仕事はできる。よく頑張っている。でも、男を立てることを知らない。だから、次の職場に行ったときに、まずは男を立てることを覚えろ』と言われたそうです。

 

どうですか・・・これを読んだ多くの女性は、怒り火の玉になりましたか。しかし、当時この発言をした専務は、おそらく何の悪気もなかったのかもしれません。この時代の多くの男性の価値観が、「女は男を立てるもの」だったのです。

 

ほんの34年前の1989年に、日本初のセクハラ裁判があり、セクシャルハラスメントという言葉が生まれたことを働く女性も男性も覚えておきたいですね。