女性の35年年表① アグネス論争

今日から保育園は、年末年始のお休みに入りました。私は男性ですが、保育園の主役は子どもたちだけでなく、働くママも、もちろん主役です。こうして、保育園に子どもを預けて、普通に仕事をする環境は、少し昔では、普通ではありませんでした。今から、ざっと35年前くらいまで戻って、今日から「女性の35年年表」を扱います。今日は、1988年に世間を大論争に巻き込んだ「アグネス論争」を取り上げます。

 

1987年、歌手・タレントのアグネス・チャンが第一子を出産しました。彼女がその直後に、この乳児を連れてテレビ番組の収録スタジオにやってきたことがマスコミに取り上げられ、今は日本大学の理事長となった、当時作家の林真理子さんからは「大人の世界に子供を入れるな」「周囲の迷惑を考えていない」「プロとして甘えている」と痛烈に批判されたのです。アグネス・チャンは、マスコミから「働くお母さん」の代表格として持ちあげられるのです。

 

私は、1986年に就職活動をしていました。男女雇用機会均等法が施工された年でもあったので、入社試験の面接では「あなたは、男女雇用機会均等法をどう思うか?」の質問がありました。「女性自身がどう考えるかの問題だと思います」なんて、偉そうに答えたのを覚えています。結婚後も出産後も女性の社会進出が当たり前になりつつあった時代でしたので、アグネス・チャンの行動が大きく取り上げられたのです。

 

1988年ということもあり、マスコミからは香港の芸能界の風習である子連れ出勤を批判的に取り上げることが多かったものの、社会学者の上野千鶴子さんは、朝日新聞で「働く母親の背中には必ず子供がいるもの」としてアグネス・チャンを擁護しました。ざっと2年間にわたって、アグネス論争として批判派と擁護派に分かれて、論争が続いたのです。

 

どうして2年も?と思いませんか。当時は、ネットで炎上とかないですから、ちゃんと肩書のある評論家などの著名人が、名前を出して意見を言うのです。今と違って、正々堂々とした論争です。

 

35年前のことですので、今の時代に「どうあるべきだったか」と語るのは難しいですね。実は、当時のアグネス・チャンは12本のレギュラー・準レギュラー番組を抱えており、テレビ局から「早く復帰してくれ。子供を連れてきてもいいから」などと説得を受け、不安に思いつつ職場に復帰したとうのが真相で、アグネス・チャンが自分の判断で子どもを連れてきたわけではないようです。しかし、結果的にはこれを機に、世の中は、職場における男女間の格差や、仕事と子育ての両立をどうするか・・・を考えるようになったと言えます。

 

保育園のママたちは、「アグネス論争」の時には生まれていないか、まだ子どもだったので、知らない人が多いと思いますが、35年前にこんな論争があったのです。