今日は風もなくあったかな屋上です。日向ぼっこをしていた2歳男の子が、ウトウトし始めました。そして、寺子屋女子たちは、ファームに食べられないで転がっているスイカやパプリカを拾って、せっせと料理を始めます。年長女子は「私はねぇ~おうちでよく料理してるから・・・」なんて言って、どや顔でフライパンを振っています。全員上着を脱いで遊んでいました。
さて、表題のタイトル「38年前と今年」で、ピーンと来た人は、間違いなくタイガースファンですね。そう、1985年阪神タイガースが初めて日本一に輝いた瞬間、私は、西武球場で悔しい気持ちでその歓喜を見守っていました。学生だった私は、西武球場で「ホットコーヒーにハンバーガーいかがですか?」と、球場の「売り子」をやっていました。あの清原和博選手が西武ライオンズに入団したのは、この翌年です。
埼玉県人の私は、西武ライオンズの優勝を信じていましたが、当時のタイガースは、不動の4番掛布が40本・最強助っ人バースは54本・現在の監督の岡田が35本・1番バッターの真弓も34本の本塁打で、まさに、ド派手に打ちまくっていました。ジャイアンツの槇原投手から、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発は、今でもたまに映像に出てきますね。
そして、阪神ファンも異常でした。(ファンの方・・・すみません)あの、「道頓堀ダイブ」は、日本一が決まった夜に、道頓堀川に飛び込むファンが次々と現れ、「トラファン大暴れ」の見出しが、翌日の朝刊の見出しとなりました。ケンタッキー・フライド・チキンのカーネルサンダース像が道頓堀川に投げ込まれ、タクシーが群衆にひっくり返され、多くの警官が殴られたようです。当時はこんなことが、許されたおおらかな時代でした。
そして、今年の阪神日本一では、チーム最多本塁打は佐藤選手の24本で、3割打者は一人もいません。1985年と比較すると、よくこれで優勝できたなぁ~という数字です。でも、岡田監督が目指した守りの野球で日本一となったのです。岡田監督は、選手としても監督としても日本一になったのです。
今年の道頓堀川は、大阪府警が1300人で警戒したこともあって、ダイブしたのはたった37人で(普通なら多い数ですが)、逮捕者も負傷者もなかったそうです。
これも時代の流れかもしれませんね。今月23日には、大阪市と神戸市で阪神タイガースの優勝パレードが行われるそうです。日本一となった岡田監督と選手たちを前に、パレード観戦という紳士的で常識的な阪神ファンが見られるのかもしれませんね。
38年という月日は、日本のプロ野球をも大きく変えました。まさか、大谷選手のような存在が現れるとは・・・2度目の満票MVP、もう賞賛の言葉が見つかりませんね。