時代を映す独身像

昨日から年長園児は、ピアニカの練習を始めました。「ドレミファソラシド」を覚えた後は、簡単な「かえるのうた」の演奏にもチャレンジします。5歳女の子は、紙に自分で「ど・れ・み・ふぁ・み・れ・ど・・・」と書いて、声に出しておうちで練習をしたそうです。今朝、さっそく自分のピアニカで練習を始めました。完璧に「かえるのうた」が演奏できています。そして、他の年長園児にも教えていました。本当に、凄いと思いました。彼女は、ダンスの振り付けも1回で覚えてしまいます。

 

さて、今日は、時代の中で「独身者」が、どのようの位置づけであったか。に触れてみたいと思います。

 

明治13年(1880年)は、ざっと今から150年前です。ここでは、独身48歳の男性の記事が朝刊で紹介されています。父の死後一人の母親を世話しているうちに、女房も迎えずに親への孝行を尽くし表彰された。とあります。親孝行で独身を貫くことが美徳とされた時代です。

 

次は、ざっと100年前の大正15年(1926年)に「独身夫人の間借り」という記事があります。「職業婦人(今で言うOL)の中には、たった一人で部屋をかりて、誰の援助もうけず一人きりの生活を営んでいる人が何人もあり、そういう人の生活も、新時代の特産物として興味があると思います」とあります。大正時代は、ハイカラなイメージがありますが、独身かつ一人暮らしの女性に対しては、とても肯定的ですね。

 

ところが、昭和に入り、戦争が始まると、社会は独身者に強く結婚を求めるようになります。昭和15年(1940年)、富山の産業組合青年連盟では、独身者を除名するとし、「男性25歳以上・女性20歳以上の組合員は、今年中に結婚すべし、さもなくば、除名することもあるべし」としています。まさに、戦争に向かって、日本は「産めよ殖やせよ」のご時世だったことがわかります。

 

そして、日本が敗戦し、昭和20年から30年頭にかけては、日本女性は大変な結婚難にあったようです。戦争で若い男性が数多く命を落としたため、1950年(昭和25年)の年齢別人口を見ると、25~29歳・30~34歳では、それぞれ女性が約50万人も男性よりも多かったのです。この世代の多くの女性は、独身のまま年を重ねました。

 

結婚が当たり前という通念が薄れ始めたのが、1980年以降と言われています。30歳未婚の息子を案じる母親に「ひとりもまた楽し。息子さんが必要をお感じになれば、ご自分で何か方法をお立てになるでしょう」と人生相談のコラム記事です。

 

その後「シングル」という言葉が生まれ、「結婚という形式にこだわらない傾向は、いまや男にも女にも例があり、我が国だけでなく都市化の先進社会に共通した状況である」となっていきます。シングルが「○○億円市場」などと経済効果として見られる動きも出てきました。「シングル」の消費傾向で特徴的なのは「情報感度がどの世代よりも高いこと」という認識です。

 

昭和の終わり頃には、シングルがライフスタイルの一つとして認識され、平成・令和とつながっていくのです。今では、シングルを楽しみ、あえて結婚しないという人もいるのでしょうが、「結婚したくてもできない」人が増えているのが現実です。

 

これからの時代の「独身像」は、どうなっていくのか・・・間違いなく「高齢者のシングル」が増えることは間違いありません。