校歌は体の一部

今日は、小学生が5人も集合しました。小学校5年の男の子は、俳句の課題がでたそうです。もちろん、字余りでもOKの子どもバージョンです。彼が好きな言葉が、「電車」と「保育園」なので、保育園で一句考えたそうです。

 

「保育園 いつも俺らの 居場所だよ」・・・どうですか。小5になっても、保育園を大切な場所と思ってくれて、うれしいじゃありませんか。

 

さて、今日は私が大好きな「チューリップ」の財津和夫さんの話です。はい。バリバリの昭和世代です。現在、50周年記念アンコールツアーを行っています。財津さんの著書に「じじぃは蜜の味」があるのですが、自分のことを「じじぃ」と呼んでいます。(笑)

 

「私は校歌が体の一部のような存在だと考えています。大げさですが、宝物のように大切にしています。ほかの歌とは違い、校歌はとても珍しい特徴があります。それは、個人の好みや流行にかかわらず、「その学校に通っている」という理由で歌うことになるということです。校歌というのは、同じ時間や空間を共有した証になります。

 

校歌は思い出と結び付く力を持っています。友達や勉強、中には叱られたことなども、学校生活の記憶として強くつながります。そして、卒業式で歌う時は「友だちと別れるのだな」とか「この学校に通うことはないのだな」とか感慨深く、しみじみとしたものになり、校歌はその人にとって格別に大切な歌になるのです。大人になって、改めて歌詞を読み直してみると、その意味を理解でき、あたらな発見があるかもしれません。校歌に限らず、一つの歌を一緒に歌うということには、人と人とを強く結ぶ効果があります。その人たちの間に音楽があるということは、とても素晴らしいことです」

 

どうですか・・・ミュージシャン財津和夫さんの校歌への想いです。私も、時々中学高校時代の校歌と応援歌を口ずさみます。応援歌は、母校が2回甲子園に出場した時に、アルプススタンドから何度も歌いました。

 

あなたにとって、校歌は体の一部になっていますか。