9月の西文ひろばでの運動会の練習は、今日が最終日です。秋まつりが終わると、寺子屋園児は、毎日のように西文ひろばに通いました。3週間の練習の成果は、かけっこが速くなると同時に、チームのために自分が何をする?を考える時間にもなっています。転んでも、すぐに立ち上がって、前に進む子どもたちです。今日は、30メートル走と紅白対抗リレーのビデオ撮影を行いました。9月末での子どもたちの姿を保護者にも楽しんでもらいます。
10月に入ると、1・2歳児も含めた練習が始まります。10月21日の運動会本番まで、伸びしろだらけの子どもたちの成長を楽しく見守っていきます。
さて、電話といえば、あなたはどの電話を思い浮かべるでしょうか。この質問に「黒電話」「赤電話」と答えたあなたは、間違いなく昭和世代ですね。もちろん、私も子どものころは、家は黒電話だった記憶があります。この「黒電話」は家庭用固定式電話のことで、色も真っ黒です。NTTグループの前身である、電電公社が、電話の契約をした家庭に貸与していたのです。貸与?と思った方・・・1980年(昭和60年)に電電公社が民営化されて、NTTになるまで、家庭の電話は購入するものではなくて、貸し出されるものだったのです。
この後、家庭での固定電話は、プッシュ式電話を各家庭で購入して使うようになります。ファックス機能が掲載されたモデルも登場しました。黒電話は、ダイヤル式だったのですが、イメージできますか?推理小説では、ダイヤルの時間の長さで、かけた電話番号を当ててしまうというストーリーも成り立ったのです。
次は、「赤電話」です。これは、昭和28年~57年頃まで、駅や公園などにあった、赤色の公衆電話のことです。当時の赤電話は、10円玉を入れて通話する形式で、たばこ屋の軒先や駅には必ず1台は置かれていました。背景には、家庭用の黒電話の普及率が低かったからです。昭和47年時点での黒電話の普及率は47%ぐらいで、全家庭に普及したのは昭和55年頃だそうです。
赤電話は、100円を入れるとお釣りが出ないので、10円玉を何枚も握りしめて電話をするシーンが、どこかしこで見ることができました。私も、そんな利用者の一人でしたね。
平成に入り、テレホンカードが使用可能な緑やグレーの公衆電話が登場し、その後は、あっという間に携帯電話が普及し、今や1人1台持つのが当たり前です。
公衆電話の設置数は、ピークの昭和60年には、国内で93.5万台あったそうです。それが、2021年3月には、約14万5643台にまで減ってしまいました。保育園ホワイトきゃんばすがあるショッピングセンターでも、1年前に、たった1台あった緑の公衆電話が、撤去されてしまいました。NTTでは、2027年までには3万台まで減らす計画のようです。
まぁ~今の子どもたちは、「黒電話」「赤電話」は論外で、公衆電話を使ったことがない子のほうが多いでしょう。私も、初めて公衆電話を使ったとき、お金をいくら入れても、戻ってしまうのでどうして?と隣の人を見ると、受話器を上げてからお金を入れることを発見したものです。
ここ数年で、あっという間に時代のスピードとともに、電話の形が変わってきました。「黒電話」「赤電話」は、インテリアと化しているのです。(笑)