中6日

今日の連絡ノートには、土曜日の秋まつりのコメントがびっしりです。入園時は、みこしですら担げなかった我が子が、今では、「わっしょい!」の掛け声が出て、お店屋さんの「いらっしゃいませ!」も大きな声で言えている。成長を感じるシーンだったというコメントには、親の深い愛情を感じます。

 

そして、今日から運動会を行う「西文ひろば」へ寺子屋園児は通います。運動会の練習が始まりました。まずは、グランドに生えている雑草を子どもたち全員で抜いて整備しました。走りまわって、何もしない年少園児もいますが、ごみ袋一杯集まって、フィールド内は、スッキリしました。いよいよ運動会モードへ突入です。

 

さて、昨日は、ラグビーワールドカップの日本戦を多くの人がテレビ観戦したと思います。ルールが、まだ完璧にはわかっていない人も多いでしょうが、あの迫力・・・興奮するスポーツですね。決勝トーナメントへ進み、ベスト4以上を期待したいですね。

 

今日は、野球の話です。「中6日」という言葉を聞いたら、ピーンときましたか。そうです。先発投手の次の当番日までの間隔の事です。現在のプロ野球先発投手は、この中6日が2/3を占めています。中7日以上開ける投手もいます。

 

1961年、私もまだ生まれていない時代に、元中日ドラゴンズの権藤投手は、年間の半分以上となる69試合に登板して35勝を挙げたのです。現代では考えられないですね。「投げすぎて潰れたわけではない」と言うものの、現役生活は、わずか8年で引退しています。当時、リーグは違いますが西鉄ライオンズの稲尾投手が大車輪の活躍を見せていたので「稲尾は完投した翌日も投げている。お前もそのつもりでいろ」と監督に、はっぱをかけられたと言います。当時は、たくさん投げて勝てば勲章と誰もが思っていたのでしょう。

 

時代が流れ、江川投手の時代には、中4日や5日が主流となります。そして、あの大投手が「サンデー兆治」と呼ばれるようになります。1983年に選手生命をかけて右ひじを手術して、奇跡の復活を果たした村田投手は、中6日で無理のない登板を続け、登板後のアイシングも村田投手が初めたそうです。

 

その後、先発投手の登板間隔だけでなく、先発・中継ぎ・抑えの分業制も進んで、投手の選手生命が長く維持できるようになってきたのです。

 

こうなると、先発投手は年間25試合程度の登板となり、20勝投手が現われることが極端に少なくなっていくのでしょうが、スポーツの世界では、「故障のリスクを避けて、1年でも長く現役を続けてほしい」と願うファンが主流になってきたのかもしれません。

 

そう考えると、大谷選手は、化け物ですね。