幕末の剣客たち・・・新選組は今の時代でも人気がありますね。「剣」に生き、「誠」に殉じます。そんな、おとこたちの中で、誰が最も強かったのか・・・新選組ファンの間では議論が尽きないテーマですね。
幕末の京都では、勤皇の志士たちを震え上がらせ、天下にその名を轟かせた新選組は、司法・行政からも超越し独自の機動性を許された特別警察ともいうべき存在でした。その名だたる剣の遣い手が多くいました。
「近藤勇」・・・新選組局長です。江戸の剣術の一派・天然理心流の四代目宗家を28歳で継ぎ、新選組結成以前から知る人ぞ知る存在だったそうです。剣術からメンタル面まで、総合的に圧倒的という評価は揺るぎません。1864年「池田屋事件」では、局長自ら「御用改めであるぞ」と邸内に入り、2階にいた長州をはじめとする志士20人以上と対峙し、無傷であったといいます。
「土方歳三」・・・新選組副長です。イケメンでかつ、戊辰戦争では宇都宮、会津、仙台と銃弾の中をかいくぐり、函館で壮絶に散った姿が印象的ですね。「実戦経験や統率力においては、近藤をも凌駕(りょうが)していたかもしれない」とも言われています。常に近藤をもり立てる役に徹し、新選組の隊規である「局中法度」の原案を作り、憎まれ役、汚れ役を買って出てまで、隊律の引き締めを図ったのです。
まだまだいますね。会津では負傷した土方に代わり、新選組隊長を務めた「斎藤一」の統率力も光ります。新選組のエースと言われた「沖田総司」は、得意としていたのが「三段突き」です。一本打ったと見る間に3連打するという秘技だそうです。池田屋事件では、多くの藩士を斬り、冷徹な殺人鬼となりました。「永倉新八」は、その沖田よりも稽古が進んでいたと言われています。
以上、名前を挙げた5人は、新選組に詳しくない人でも、名前は聞いたことがあると思います。
ところで、誰が強いのか!?・・・これは、やっぱり決められませんね。それぞれの強味を見抜く力のある近藤勇が上手に組織をまとめていたことだけは間違いありません。いや、個々のスペシャリストが、それぞれの判断で、新選組を守る行動をとっていたのかもしれませんね。