今日は「西高東低の気圧配置」・・・つまり、冬の天気図です。久々の北風ビュービューとなりましたね。そんな中でも、小学生男子3人が揃ったので、野球とドッジボールで屋上遊びは熱く燃えました。
さて、最近は、民間のロケット打ち上げに関するニュースが続き、宇宙旅行が夢物語ではなくなってきました。人間の活動範囲が宇宙にまで広がりつつありますね。そんな中、20年以上前に描かれた幸村誠さん作の「プラネス」が注目されています。
舞台は、人類が日常的に宇宙空間で生活をすることが珍しくなくなった2070年代。主人公・星野八郎太(通称ハチマキ)は、地球の周囲を漂うスペースデブリ(宇宙ゴミ)の回収作業員として働いています。ハチマキの夢は、「自分の宇宙船を持つこと」で、そのために同僚の乗組員たちと共に、日夜危険を冒して作業を続けているのです。
ハチマキは、自分の理想を追求し、孤独に耐えるのが当たり前と考えていたのですが、同僚の言動や生死をさまよう事故を通して考え方が変わっていきます。作中でたびたび言及されるのが、限定された活動範囲の中で生きる人たちのものの見方や捉え方です。
例えば、ハチマキは「ノノ」という12歳の「月面人(月生まれ月育ちの人間)」と出会います。ノノは、低重力下で育ち地球の重力に耐えられない体であるために地球で暮らすことができません。しかし、ノノは自分の体の成長記録が宇宙で生活する人の病気の研究に役立っていることを誇りに思い、それを悲観的に捉えることはありません。ハチマキは、そんなノノの姿を見て「この誰にでも平等に無慈悲な世界をどう受け入れるか」について考えます。そんな人たちとの出会いの中で、ハチマキは「同じ物事をどのように受け取り、そして生かすかは、自分次第なのだ」と悟るのです。
この作品では、宇宙を地球と異なる全く新しい世界として描くのではなく、地球にいる自分自身を含めて全てが宇宙の一部であるという視点を強調しています。
今の子どもたちが、おじいちゃんおばあちゃんになる時ぐらいには、ひょっとしたらこんな世界が広がっているのかもしれません。人類の活動が宇宙にまで進出し、限りなくその範囲が広がったとしても、私たち一人一人が宇宙の構成物の一つであるように、大事なことは、今も昔も、そして未来も変わらないということです。
私のような昭和世代は、星空を見ては、はるかかなたの空間という認識を持ってしまいますが、あと何年か先には、違う宇宙が広がっているのでしょうね。