思い出の昭和文化

屋上ファームで冬を越して大きくなった「玉ねぎ」を収穫しました。子どもたちが抜くには、少し力が必要ですが、コツをつかんだ園児は、一人で何本も引っこ抜きました。今日の子どもたちのお土産です。新玉ねぎですので、薄くスライスして水にさらして、かつお節をかけて、そのままサラダで食べたいですね。もう一つ、「絹さやえんどう豆」も本日が初収穫です。バケツにいっぱい収穫しました。

 

さて、昭和30年代の「お茶の間」にタイムスリップします。令和の時代は、リビングと言うのでしょうか。「お茶の間」という言葉も死語ですね。

 

昭和30年代は、「家電とインスタント食品の普及期」です。敗戦後の奇跡の復興を経て、生活が近代的になっていく10年です。白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機が「三種の神器」と言われました。食品では、ラーメンやコーヒーなどのインスタント商品が普及します。昭和39年は、「東京オリンピック」と「東海道新幹線」で一気に世界へアピールしました。

 

昭和40年代は、カー、クーラー、カラーテレビの「3C」が普及します。そして、「物に付加価値をつける時代」に突入します。凝ったデザインの商品が登場し、おまけ付き商品などで購買意欲をかきたてます。流行語や広告キャッチコピーが増加したのも特徴的で、「大きいことはいいことだ」「はっぱふみふみ」などが流行します。47年には海外旅行客が100万人を超えました。

 

昭和50年代は「エレクトロニクスの時代」です。電卓、ビデオデッキに、ウオークマンなどの日本の技術が世界を席巻しました。ビデオでテレビを録画することは革命ですね。シャワーの普及で「朝シャン」など、清潔さに対する考えも変わりました。

 

昭和が終わる60年代にはコードレス電話やCDがヒットし、アナログからデジタルへの大転換期を迎えます。

 

どうですか・・・昭和30年代から、ざっくりと昭和文化を振り返ってみました。懐かしい思い出がいっぱいですね。高度成長期は、「みんなと同じもの」を求め、みんなと同じことで心も安心する時代だったのが、昭和の終わりから平成にかけては、「自分らしさを

楽しむ」・・・もっと進んだ人は「もう一人の自分を楽しむ」という考えの人も出てきました。「24時間戦えますか」から「オンとオフを切り替える」時代になりました。

 

令和の今・・・さらに多様性が進んで、個々の生き方が尊重される世の中へと進んでいます。保育園の子どもたちが、大人になるころには、日本の人口がさらに減り、AIの世界がどのように進化しているのか。また、「人間」の役割がより明確な時代になっていることでしょう。すでに、5年後の未来ですら、誰も言い当てることができないですね。

 

子どもたちが、身につけなければならない力は、「変化に対応する力」なのかもしれません。もちろん、私たち大人もですね。