マスク着用「個人の判断」でどうする?

今日は雨降りだったので、寺子屋園児は「紅白対応階段リレー」をおこないました。運動会では、最終種目で大盛り上がりの紅白対抗リレーです。今日は紅白に分かれて、4階から5階までの階段往復をして、次の園児にタッチします。負けたチームは「もう1回やりたい!」となり、結局4回もレースを行い、大声援となりました。今日も、負けた園児は悔しくて泣きます。

 

さて、3月の卒業式シーズンを前にして、マスクの直用は「個人の判断」となりました。全国の小中高校の卒業生たち全員が、これでマスクなしで卒業式になる。とは、たぶんいかないでしょう。個人の判断の前に学校判断となるのでしょう。

 

ある女性は、「マスク生活はとっても楽ちんです。すっぴん、あるいは最小限の化粧で出かけられる。なんなら、寝起きの顔でも電車に乗れる・・・マスクをつけている方がかわいく見える」なんて言います。

 

トレーニングジムに通う40代の女性は、トレーニング中の必死の形相を隠すことができるので、「今さら、みなさまにお見せできません」と言います。

 

どうも、日本人は、少なくとも3年間もマスク漬けの生活を送っていたものですから、「マスクの外すのは恥ずかしい」と思う人が多いようです。人の目を気にする国民性もあって、みんな一斉に「マスクなし!」とでもならない限り、そう簡単には、マスクなしの日常には戻れないのかもしれません。

 

ところが、米国はじめ多くの外国では、マスク姿を見かけることの方が少ないのは、どうしてなのか。フロリダでは、昨年春に自治体が個人にマスク着用義務を決定すると、これは憲法違反となるので、裁判所が差し止めた事例もありますね。アメリカ人は、マスクの習慣がなかったこともありますが、国民の認識は「すでにコロナは、一定期間繰り返される流行でしかない」となっているようです。

 

日本人が、オリンピックやワールドカップなどで、皆で協力してゴミを拾うなど、事を成し遂げる姿は、世界でも美徳として称賛されますが、「自分の判断で決めて」となると、周りを気にして、多くの人が自分で決められなくなるのです。

 

さて、まずは、卒業式にマスクを外すか・・・注目ですね。ホワイトきゃんばすは、卒園児はマスクなし。保護者はマスクあり。記念写真の時は、全員マスクを外すという判断にしようかと思っています。

 

ともあれ、マスクはどういう時に必要で、どういう時は必要でないか。それをしっかりと認識して判断することが大事ですね。