守ろうとすると衰退する

今日、久しぶりに授業参観で、小学校1年生の授業を見させていただきました。保幼小連絡協議会で、私がPTAでお世話になった小学校へ行ってきました。3人の我が子が卒業した小学校です。

 

5組まである授業では、先生全員がパソコンを使い、プロジェクターで黒板に大きく映しての授業です。あるクラスは、1年生にもかかわらず、児童全員がノートパソコンを開いて、慣れた手つきでキーボードをたたいています。

 

1年3組の担任の先生と話をしましたが、1年の先生たちは、パソコン操作に慣れているので、モニターでの授業は、全く苦にならないそうです。昭和の私の時代では考えられない授業光景です。

 

教育現場は、時代の流れと共に変化することが当たり前だと、私たちの多くは思っています。先生が、黒板の前に立っての一方通行的な授業がほとんどなくなり、児童一人一人が参加できるようなスタイルの模索が続いています。先日、1年生の担任の先生から「子どもたちに助けてもらいながら授業を進めています」という話を伺いました。つまり、その先生は、児童同士で教え合うような授業スタイルにも挑戦しているのです。

 

しかし、教育の世界なら、「変わらなければ!」は、校長も先生たちも実感していることですが、その他多くの事は、その存在自体を、大事に守ろうとすればするほど、『衰退』していくことが多いです。音楽の世界で例えることにします。

 

「〇〇保存会」の設立などと看板を掲げたとたんに、後継者不足となります。長唄・小唄などの伝統芸能などがそうですね。逆に、「jazz」はどうでしょうか。いつの時代も「それは異端だ。そんなものはjazzではない」との批判を浴びながらも、その新たなスタイルが次代の主流派になっていきます。デキシー、スウィング、モダン、クール・・・など。面白いですね。「守ろうとすると衰退し、異端児の登場が明日を創る」という表現がぴったりと当てはまります。

 

あなたの今のお仕事はどうですか・・・前年踏襲で守ろうとすると衰退しますよ。異端児になる必要はないですが、少しずつでも「change&challenge」を続けることが大切ですね。

 

攻撃は最大の防御なり・・・とはよく言ったもので、大事に守るのではなく、新たな攻撃に出ることが、結果的には、継続的に物事を進めていくことになるようです。必要なのは、熱すぎる情熱ではありませんよ・・・ほんの少しの勇気です。