短歌のガチャポン④

山梨県の甲府に、「岡島百貨店」という地方百貨店があります。一昨日は、美しい富士山が目の前にそびえる富士宮(ふじのみや)で、一昔前にB級グルメで日本一となった「富士宮やきそば」を食べていました。かつお節の粉末を、これでもか!と麺の上に振りかけます。ラーメン同様に、ご当地焼きそばが増えていますね。そのきっかけが、富士宮やきそばです。そして、そのまま身延線に乗って、甲府に到着。岡島百貨店をめざします。ここも、前日の「横須賀さいか屋」同様に、踏ん張っていました。この百貨店の思い出は、駐車場がとにかく狭いのです。昔の作りなので、軽自動車基準の駐車枠です。

 

さて、今日の短歌は・・・

「何しに僕は生きてゐるのかと或る夜更けに一本のマッチと会話する」

 作:立原道造

 

萩原朔太郎、宮沢賢治、中原中也、吉岡実など、有名な詩人が青春期に短歌の制作を試みているようですが、立原道造もそんな一人でした。彼は、24歳の若さで結核で亡くなっています。昭和14年のことですので、戦前でもあり、当時結核は、死を伴う病でした。そんな中で、一本のマッチと会話していたのでしょう。あまりにも短い人生です。

 

さいたま市の別所沼公園に、立原が構想した図面に基き、ヒアシンスハウスという地域の文化の拠点となる、小さな木造の家があります。24年という短い人生でしたが、彼の作品に魅せられる人が多いのです。立原の歌をいくつか紹介します。

 

「クレオン画の飛行船に乗って、お魚みたいに時間が流れる!」

「消えるように倒れたあなたに接唇した、船の灯が一つ一つ消えて行った」

 

さて、冒頭の歌に戻ります。保育園の子どもたちは、生活の中ではマッチを見ることはほとんどないでしょう。私は、仏壇のロウソクに火をつける時に、毎日マッチを使います。ロウソクの灯を見ながら、仏壇の父・母に話しかけるのですが、今日はマッチに火をつけて持てなくなるまで、一本のマッチと向き合ってみようかと思います。時間が短いので「今年一年、健康にすごすことができてありがとう」と言うくらいですね。

 

いよいよ、令和4年も残りわずかです。この一年も、「おやじ園長のブログ」にお付き合いいただきありがとうございました。保護者の皆様の連絡ノートには、「園長先生のブログにあったように・・・」と書いていただくことも多かったです。うれしいですね。

そして、保育園の子どもたちと共に、この一年元気にすごすことができました。素直に感謝の気持ちでいっぱいです。では、良いお年をお過ごしください。