猪木死す

猪木が死んだ・・・

 

2019年に「心アミロイドーシス」という難病を発症し闘病中だった猪木寛至(いのきかんじ)が、昨日亡くなりました。猪木は、闘病中の姿を「今のありのままの姿」として、ネットで公開していました。多くのファンは、「頑張る姿で勇気をもらっている」と言っていますが、私は、見るのが辛くてたまりませんでした。

 

猪木は、終戦の2年前に横浜の鶴見で生まれますが、戦後日本の不透明な状況に、両親がブラジル移住を決定します。猪木が13歳の時です。ブラジルでは砲丸投げで頭角を現す存在になっていたところ、たまたま遠征した力道山にスカウトされて、猪木のプロレス人生が始まります。この時17歳です。プロ野球選手として知名度が高いジャイアント馬場さんはこの時22歳で同期入門でしたが、ジャイアント馬場はエリートコースを歩み、猪木は力道山の付き人となり、雑草のように扱われます。

 

猪木が29歳の時に、新日本プロレスを旗揚げすると、馬場さんは全日本プロレスを旗揚げします。かつては、共にタッグを組む二人だったのですが、これを機にライバルとなります。不仲説もありましたが、実は兄弟のように信頼し合っており、これで、天国で

再会できることでしょう。鶴田も三沢も一緒かもしれません。

 

猪木について語り始めると、何日もかかってしまうくらい、プロレスファンの私にとって、文句なしにナンバーワンレスラーは猪木です。「猪木信者」という言葉が生まれましたが、歴代のレスラーの中で、「〇〇信者」と呼ばれたのは、猪木だけです。

 

彼の行動は、一般的には「非常識」だったかもしれません。レスラー時代も政界でも、絶対に無理と言われたことを何度も実現してきました。決して、論理的な話術があるわけではありません。理屈抜きに相手を魅了してしまう力が猪木にはあるのです。カリスマを超えた存在です。

 

最期に、猪木の引退試合での言葉で締めます。

 

道 アントニオ猪木

 

この道をゆけばどうなるものか

危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし

歩みだせば その一足(ひとあし)が道となり その一足が道となる

迷わずゆけよ ゆけばわかるさ 

 

享年79歳・・・燃える闘魂よ永遠なれ。