優しい地獄

台風が近づいています。最近の台風は、急に方向を変えたりUターンしたりと、素直にまっすぐと進みませんね。昨日は、保育園の屋上のタイヤや橋にする板などを移動して、台風対策をしました。

 

今日は、1984年チャウシェスク独裁のルーマニアに生まれた、イリナ・グリゴレさんの話です。

 

彼女が生まれた日に、祖父が家じゅう探して一番分厚い本「国営鉄道の時刻表」を用意したそうです。自分ができなかった読書を孫娘にしてほしかったようです。その願いが通じたのか、イリナさんは3歳で字を覚えてしまいます。

 

そして、現在イリナさんは、日本の雪深い青森に住み、最初の著作「優しい地獄」というエッセーを出しました。それは、驚きの記録文学です。

 

子ども時代のイリナさんは、ルーマニア語版の川端康成「雪国」と出会います。「遠い日本の汽車なのに、私も乗っている気がした。同じ車内に私もいたと叫びたいくらい、自分の体が痛いぐらい懐かしかった。私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする」と思ったそうです。

 

そして、留学生として来日し、いま日本で人類学者学として、青森県弘前市に住んでいます。冬の終わりに山菜をつむのが楽しみで、フキノトウはしばらく目で十分に楽しんだあと収穫し、津軽地方のバッケ味噌を作ります。とても苦いそうですが、この苦みは人生そのものだと感じるそうです。イリナさんの半生は、美しいばかりではなく、地獄もあったそうです。救われたのは、映画や絵画、そして言葉の力です。その言葉が日本語だったのです。

 

「泣き笑いという複雑な現象が自分の身体に起きた。その時まで感じていた生き辛さが消えて、どんな状況でも生き続けることを決心した。そしてたくさん笑うと決めた。最後の最後まで笑うと決めた」と言います。

 

イリナさんは、日本での生活、日本語を話す生活の中で、今まで発見できなかった「幸せ」を見つけたのです。幸せとは自分が「決める」こと。幸せとは「意志ある」ものである。

 

何だか、イリナさんは、私たち日本人に、そう教えてくれているのかもしれませんね。