いのちの窓

今日は、寺子屋園児の西文ひろばでの練習はなしです。園児全員で屋上遊びをしました。毎日「勝った!負けた!」なので、クールダウンです。そして、秋まつりのゲーム屋の看板が出来上がると、子どもたちの「ロールプレイング」が始まります。「いらっしゃいませ!ゲームはいかがですか?1回50円です・・・」という定番のセールストークの声が聞こえてきます。本番では、子どもたちのオリジナルセールストークが楽しみですね。

 

さて、大正から昭和にかけて活躍した陶芸家「河井寛次郎」の著書で、「いのちの窓」を紹介します。彼のメッセージは、時代を超えて、現在の私たちの目を覚まさせるようなインパクトがあります。

 

「何もない/見ればある」

見ようとする目で見なければ、そこには何もないのと同じだ。これは、私たちの行動の真実を言い当てています。

 

「ひとりの仕事でありながら/ひとりの仕事でない仕事」

これも、自分ひとりの力でやり遂げたと思ったら大間違いで、周りの支えがあってこそというのは、案外気が付かないものですね。

 

「道を歩かない人/歩いた後が道になる人」

リスクを恐れて、動かない人生ではなく、まず第一歩を踏み出していかないと・・・これも、深い言葉ですね。

 

「機械は存在しない/機械は新しい肉体」

今、学校では子どもたちが当たり前にタブレットを使っています。タブレットは、機械でなく、新しい肉体として使いこなしていくようになっていくのかもしれませんね。

 

「鳥が選んだ枝/枝が待っていた鳥」

鳥を主語におくか、枝を主語におくかで、こんなにも見方が変わってくるのです。私たちは、1つの見方でしか、物事を見ていないことが多いですね。

 

「何という大きな眼/この景色入れて居る眼」

そうです。世界は子どもたちの目の中にあるのです。私たち大人は、先入観で周りを見てしまうことが多いですね。子どもの視点は、まさに大人が想像できない「無限大」です。大事に、耳を傾けたいですね。