昨日のブログでは、上野発の夜行列車に乗りましたので、そのまま、青函連絡船に乗り、北海道に入ります。私が、初めて北海道を旅したのは、16歳、高校2年の夏休みです。目的も思い出もたくさんあるのですが、その一つが「湧網(ゆうもう)線」に乗ることです。
当時は、北海道内にも夜行急行が走っていて、札幌を拠点に、札幌ー稚内(急行利尻)と札幌ー網走(急行大雪)をよく利用しました。旭川駅は、利尻も大雪も夜中に到着するので、24時間、駅の待合室が開いていたのです。何度か一夜を過ごしたことがありました。旭川駅の駅名だけは、当時「あさひがわ」と濁って読んでいたのです。今は、駅名も「あさひかわ」です。
夜行急行「大雪」で、網走に到着すると、目的の「湧網線」を目指します。北海道のオホーツク海の地図を頭に描いてください。網走から、能取湖・オホーツク海・サロマ湖を走り、今はなき名寄本線の「中湧別」駅までの88.8キロを結ぶ線です。そう、この湧網線も、国鉄がJRに民営化する直前の1987年3月に廃線となりました。北海道では、このタイミングで多くの路線がなくなりました。
湧網線は、当時から伝説の路線と言われ、冬はオホーツク海の流氷を見ながら、秋はサロマ湖のサンゴ草の真紅の紅葉を楽しみ、まさに圧巻の景色が広がる路線なのです。私が乗ったのは夏でしたが、ずっと窓の外を見入ったままで、88.8キロが終わりました。
当時、北海道には「仮乗降場」と言われる、時刻表には「駅」として掲載されていない仮の駅がいくつもありました。地元の人のための「仮乗降場」です。「北海道時刻表」という道内だけの時刻表には、この仮乗降場が掲載されているので、私は、よくこの仮乗降場に泊まりました。ちゃんと屋根はついているからです。朝食で湯を沸かしていると、通勤の住民とばったりで、「こんなところで泊ってたんかい!うちへくればよかったのに」と声を掛けてくれました。
旅で知り合った仲間と「今日は、旭川駅の待合室で寝ることにするよ」と話していたら、隣のボックスの方が、「よかったら、私のうちに泊まりなさい」と泊めてもらったこともありました。その家の高2の息子が身長185センチ、中3の娘が身長170センチのビッグファミリーでした。
当時を知る、多くの人が「湧網線」を車窓の景色ナンバーワンとしているように、40年以上前に乗車した記憶が、今でも鮮明に、私の記憶に残っています。