やっぱり鉄道が好き①~上野発の夜行列車~

今日から保育園はお盆休みに入ります。今年は、コロナ禍にあって、初めての行動規制のないお盆休みとなりました。コロナ感染がなかなか治まりませんので、鉄道での移動よりも車での移動が増えているようです。高速道路が渋滞しますね。

 

お盆休みは「やっぱり鉄道が好き」のテーマで楽しんでもらおうと思っています。私は「乗り鉄」「呑み鉄」を楽しむおやじです。今でも、中学高校時代の仲間たちと、年に2回は、鉄道旅を楽しんでいます。鉄道をあまり知らない人も、楽しんでいただければと思っています。

 

演歌歌手の石川さゆりさんが19歳の時に大ヒットした「津軽海峡・冬景色」の歌詞にあるのが「上野発の夜行列車」です。今や、東北方面に行くにも「東京発の新幹線」ですが、当時は、上野が東北への玄関駅でした。

 

まだ、青函トンネルが開業する前の時代には、「上野発青森行き」の夜行急行列車が3つの路線で走っていました。メインの東北本線を走る「急行八甲田」と、常磐線経由で、水戸やいわき(当時は平駅)を通って仙台からは東北本線を走る「急行十和田」と、福島から、奥羽本線に入り、山形、秋田経由で青森に行く「急行津軽」の3つの夜行急行が走っていたのです。

 

私が学生時代に、北海道へ旅する時には、この3つの夜行急行をチョイスするのも楽しみの一つでした。青森からは約4時間かけて、青函連絡船で函館に到着します。

 

夜行列車の楽しみは、見知らぬ人との出会いです。ボックスシートに4人は座れるのですが、それでは、ほとんど寝られません。二人分に横たわってエビのように寝るか、床に新聞紙を敷いて寝る時もありました。でも、気の合うやつと話が盛り上がると、朝まで会話している時も・・・寝るのは青函連絡船です。

 

石川さゆりさんも、よく、上野発の夜行列車に乗ったそうです。新幹線が走る前は、仙台より北のコンサートの移動は夜行列車だったそうです。ある時、どこかの駅でコンサートが終わり、真っ暗なホームで、バンド仲間やスタッフたちと夜行列車を待っていると、同じホームに新婚さんがいて、新婚旅行に出かけるところでした。すると、バンド仲間が「2人のためにみんなで演奏しよう」と言って、演奏を始めたそうです。暗いホームは、音楽に包まれて、とても素敵な光景になったそうです。

 

昼間の車窓とは違う楽しみが夜行列車にはあって、ほぼ無人の駅舎に、駅名の看板だけが輝いてる光景も、旅を感じるワンシーンです。

 

上野発の夜行列車は、特急「北斗星」も「カシオペア」もなくなってしまいましたが、私のように、いつまでも記憶に残っている「昭和世代」のあなた・・・懐かしんでください。(笑)