歴史上の人物 すごいとやばい① 小野小町

休園期間中は、歴史上の人物についての「すごい」ところと「やばい」一面を取り上げたいと考えます。今日は「小野小町(おののこまち)」です。

 

エジプトのクレオパトラ・中国の楊貴妃とならぶ「世界三大美女」のひとりが、小野小町です。小町は、美しいだけでなく、天才的な歌人でもありました。平安時代の文学者で「古今和歌集」の編集者である紀貫之(きのつらゆき)が、当時もっとも優れた歌人6人を選んだ「六歌仙」に、女性でただ一人選ばれたのも小野小町です。

 

小町の代表作・・・

「花の色はうつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」は、誰しも知っている有名な歌ですね。「花の色はあせてしまった わたしもむなしく年を重ねてしまった ぼんやりと考えごとをしている間に」という意味です。

 

実は、「ふる」には「経る(年を重ねる)」と「降る(雨が降る)の意味を、「ながめ」には「眺め(ぼんやりと考えごとをする)」と「長雨」の意味をそれぞれ二重に持たせたハイテクニックな歌なのです。

 

日本が遣唐使をやめて、平安時代に生まれた上品な「かな文字」を使い、豊かな感情を込めて歌う小町は、日本独自の「国風文化」を代表する歌人として愛されていました。まさに、すごい人だったのです。

 

しかし、小町がどんな人生を送ったのかは謎に包まれています。小町は、歌の天才で絶世の美女でしたのでモテモテでした。しかし、結婚には興味がなかったようで、どの男性からの歌(当時のラブレター)を贈られてもつれなくします。

 

ただ「深草少将(ふかくさのしょうしょう)」という男だけは、絶対にあきらめず、断りの手紙が送られてもしつこく言い寄り続けたのです。そこで、小町は深草少将にムチャぶりをします。「わたしの家に毎夜、100日続けて通ってくれれば・・・ただしわたしは会わないけど、何があっても歩いて100夜通い続けることができたら結婚してもいいよ」と言います。

 

深草少将の家から小町の家までは、片道5キロもあり、当時は街灯もなく野犬もうろつく暗い道なのに、何と99日間通い続けてしまったのです。しかし、不運なことに最後の100日目の夜は、記録的大雪、歩いたら必ず死ぬ状況です。深草少将は「今日行かなかったら、小町さんと結婚できない」と悲壮な覚悟で大雪の中を歩き、案の定、凍死してしまったのです。

 

ということで、言い寄る男にムチャぶりして凍死させる・・・それが、小野小町のやばい一面だそうです。もちろん、小町にまつわる数ある伝説の一つですが。