いつも自分が「正しい」とは限らない

今日もきゅうりがたくさん収穫できました。子どもたちと屋上でバクバク食べます。そして、ミニトマトの赤い実が少しずつ増えてきました。もう少しで、子どもたちはトマト食べ放題になります。(笑)

 

さて、武田鉄矢さんは、こんな話をしています。「来客から『のどが渇いたから水を一杯頂けますか?』って言われたら、水を出すのではなく、『冷たい麦茶はいかがですか』って対応するでしょ。『水が欲しいと言われたから水を出す』は日本語としては正しいでしょうが、物事の真意は違うところにあります」

 

私たちは、このような事例に出くわしたことが、何回かありますね。特に、日本語は、文字のままの意味と真意を汲み取るのがとても難しいです。

 

ある、中学校の校長先生は、自分の教え子で社会人になったA君から「先生に直接お会いして渡したいものがあるんです」と、「スポーツを活用した社会貢献」という論文を受け取ります。

 

先生は、教え子の成長に感動し、すぐに論文に目を通します。A君は、プロ野球選手を多数輩出した高校で野球に没頭。努力、忍耐という言葉では表現できないようなつらい経験や、感動を味わっと思ったものの、論文からはA君の人生が伝わってこなかったので、歯がゆさを感じました。

 

そこで「こう書いた方があなたらしい」と修正を加えて返事を送ったそうです。しかし、A君からの返信はなく、忘れた頃にメールが届いたそうです。

 

「うぬぼれかもしれませんが、正直褒めてもらえると思っていました。一人の大人として、先生と教育の話ができればと思っていましたが、自分はまだ対等に話ができるレベルに達していない人間だと落ち込んでしまい、今日まで返事が遅れてしまいました。しかし、あんなに真剣に読んで意見をくれるのも先生です。そう理解するのに半年という時間が必要でした。大変申し訳ありませんでした」という内容です。

 

先生は、論文を受け取る際に、「アドバイスをお願いします」と言われていたため、精いっぱいの感想と意見を伝えたのですが、A君が欲しかったのは「すごいなぁ~」「成長したな~」という一言だったのかもしれませんね。

 

どうですか、みなさんにも「良かれと思ったことなのに・・・」という経験がありますよね。自己肯定感が強くて、自信満々に生きていく人生はとても素晴らしいと思いますが、時々、いつも自分が「正しい」とは限らない。と思うことが必要ですね。

 

私も、大いに身に染みる内容です。(笑)