戦国時代に「地球は丸かった」を知る男

今日は、ちびちゃんたちと玉ねぎを収穫しました。引っこ抜くのに力が足りないので、先生と一緒に「うんとこしょ・・・どっこいしょ・・・」子どもたちの「どや顔」が印象的です。自分で収穫した玉ねぎを今日は、お土産で持ち帰ります。お店で買った玉ねぎは食べないのに、ファームの玉ねぎは「おいしい!」と食べるのです。好き嫌いは、気持ちの問題であることがよくわかります。(笑)

 

寺子屋の時間は、「廃材工作」です。牛乳パックを加工して蛙の絵を描きました。それに輪ゴムをつけて「ぴょんぴょんカエル」の完成です。子どもたちは、大喜びで自分のカエルでピョンピョン遊んでいました。新人寺子屋3番さんたちにとっては、初めての工作です。

 

さて、保育園には地球儀があるので、オリンピックの時や、話題の外国(今ならロシアとウクライナ)の場所を調べるために、子どもたちとどこにあるか調べます。子どもたちは、「地球が丸い」ことを知っています。太陽の周りを地球が回転していることを知っている園児もいます。昨年のサマーキャンプでの天体観測では、土星の輪を見た子どもたちです。

 

しかし、今から500年も昔の戦国時代に、「地球は球体」であることを知っていた人物がいました。その人物は、織田信長です。信長は、ヨーロッパ人宣教師から地球儀をもらい、地球は球体だと理解していました。重要なのは、信長がこの知識を家臣や子どもに教え、ひろめようとしたことです。

 

信長は、地球儀を皆に見せて家中の意識改革を図ったといわれています。「仏僧らが言う地球とは、大いに異なっている」ことを見せつけたのです。信長は「来世はなく、見える物以外には何も存在しないのだ」と言い、見えない神と霊魂は信じなかったのです。しかし、地球儀を含めて、天文学の話は信じたのです。

 

信長は、この天文地理の学習会で、仏僧の誤りを家臣団にみせ、地獄や極楽にとらわれぬよう誘導したといわれています。比叡山延暦寺焼き討ちなどは、この発想からの行動だと言えます。

 

実は、戦国時代は、信長だけが天才で宇宙論を好んだわけでなく、日本人に共通の特徴だったようです。日本人は、好奇心が強く宇宙論が好きだったと言われています。

 

そして、200年前の江戸時代になると、ちょっとした物知りなら世界は球体で動いていることを知っていたようです。大阪の商人でさえも、よその恒星の近くに土や湿気があれば、きっと虫・魚貝・鳥獣そして人民も生じているだろう、と宇宙人の存在を想ったのです。

 

どうですか・・・日本人が、新しいことを取り入れて、普及させるセンスがあるのは、第二次世界大戦後の高度成長期から始まったのではなく、はるか500年前の戦国時代・・いや、もっと前から、そんな民族だったようですね。