休園初日の昨日は、5歳男の子が発熱したものの「陰性」判定で感染していませんでした。今のところ、感染の報告はなしです。このまま、子どもたちが健康に過ごすことができるよう願います。
さて、休園期間中、落ち込んだ気持ちのままでも仕方ありませんので、私の思い出の「奇跡のドラマ」(大げさですね・・・)「北の国から」から、田中邦衛さん演じる主人公「黒板五郎」の言葉を感じてもらいたいと思います。保育園の保護者の中にも、このブログを読んでいただいている方の中にも、「北の国から」のファンが多いのです。(笑)
「北の国から」第24回の最終回を見終わった、当時学生だった私は、そのまま、上野発の夜行列車で富良野へと旅立ちました。ドラマの舞台「麓郷(ろくごう)」では、たまたま北海道新聞の取材で訪れていた、五郎・純・螢がいたのです。螢への思い入れが強かった私は、「螢!こっちおいで!」と声をかけると、当時小学生だった螢は、何の疑いもなく私に抱きついてきました。そんなエピソードは、今の中嶋朋子さんは覚えていないでしょうが。(笑)
都会は無駄であふれ、
その無駄で食う人々の数が増え、
すべては金で買え、
人は己のなすべき事まで他人に金を払いそして依頼する。
他愛(たわい)のない知識と情報が横溢(おういつ)し、
それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、
人みなそこへあこがれ向かい、
その裏で人類が営々とたくわえて来た生きるための知恵、
創る能力は知らず知らずに退化している。
それが果たして文明なのだろうか。
『北の国から』はここから発想した。
脚本の倉本聰のこの言葉は、1982年1月5日の北海道新聞夕刊に掲載されたものですが、このドラマの本質を端的に語っています。
今日は、第1回の純たちが、廃屋のこれから住む家に来た時のシーンです。
純の驚愕の顔。
純 「電気がないッ!?」
トイレの板壁をはり直している五郎に、純、もう然とくい下がる
純 「電気がなかったら暮らせませんよッ」
五郎「そんなことないですよ(作業しつつ)」
純 「夜になったらどうするの!」
五郎「夜になったら眠るンです」
純 「眠るったって。だって、ごはんとか勉強とか」
五郎「ランプがありますよ。いいもンですよ」
純 「いー。ごはんやなんかはどうやってつくるのッ!?」
五郎「薪で炊くんです」
純 「そ。-そ。-テレビはどうするのッ」
五郎「テレビは置きません」
純 「アタア! けどーけどー冷蔵庫は」
五郎「そんなもンなまじ冷蔵庫よりおっぽいといたほうがよっぽど冷えますよ。こっちじゃ冷蔵庫の役目っていったら物を凍らさないために使うくらいで」
どうですか・・・「都会っ子」純にとっては、衝撃的なシーンですね。では、明日からも、しばらく黒板五郎の言葉に付き合っていただきます。