ロシアとウクライナの戦争が長期化し、3・11についての報道が今年は、少なく感じます。しかし、子どもたちには、いつか大地震があることを伝え、それに備えるようにするのが、私たち大人の義務でもあります。
今年も、保護者から11年前の今日は何をしていた?を聞いてみます。
第一子が誕生し、ベビー子育て真っ最中のママは、水が手配できずに、ミルクが十分に与えられなかったと当時を振り返ります。地震の影響が少なかった名古屋の知人から送ってもらったそうです。小学校教員のパパママは、「プールが波打った!」に驚愕したそうです。水槽の水ではありません。プールが波打つシーンをイメージできますか。そして、大変だったのは、子どもの引き渡しです。都内まで仕事をしている保護者は、電車が止まって帰れない状況です。夜中まで、子どもたちと教室で過ごした記憶を今でも鮮明に覚えているそうです。
今日は、まずは保護者が我が子へ、自分が経験した3・11の話をしてもらいたいですね。
東日本大震災を経験した子どもたちは、今では小学校5年生以上です。そして、3・11以降に日本で生まれた子どもたちは1023万人だそうです。保育園の子どもたちは、全員1023万人に含まれます。
今日は、朝の会の途中で、サイレンを鳴らして「大きな地震が発生しました。みんな、机の下に隠れてください」からスタートです。0歳児以外は、自分で机の下に入ることができました。そして、3・11の生々しい写真を子どもたちに見せながら、11年前の大地震の話をしました。年長園児は、真剣に話を聞いています。
「もし、埼玉とか東京で大地震が起きたら、富士山が爆発するんじゃないの?」「埼玉県には海がないから、津波の心配はないね。良かった」「本当に大きな地震は起きるの?」「どうして、コンビニの弁当がすぐになくなっちゃうの?」などなど、様々な疑問が頭をグルグルめぐったようです。
そして、寺子屋園児は、靴と靴下を持って、階段を裸足で1階まで降ります。園長は、10人乗りのカートをガタガタさせながら1階へ降ろすと、保育園の0・1歳児を抱きかかえて2往復します。先生たちも役割分担で、無事に子どもたちを1階に降ろしました。次は、イオン駐車場⇒大宮西中学校体育館⇒内野公民館と、避難場所に指定されている場所まで、子どもたちと歩きます。
今日は、避難経路確認の訓練ですので、子どもたちは、お散歩気分です。でも、実際に地震が起きることを想定して、職員は動きます。
11年前に、東日本大震災で、家族や知人をなくされた方にとっては、この11年、一時も忘れるこがなかったでしょう。震災で直接被害がなかった私たちは、せめて3・11当日は、つらいことですが、この日のことを思い出して、3・11大震災を知らない子どもたちへ、伝えていくことを続けましょう。