個性尊重と学歴 その間のジレンマ

5~11歳のコロナワクチン接種券の郵送が2月28日からスタートする旨の案内が、行政から保育園にメールがきました。明日、対象園児の保護者には案内文を配布しますが、正しい情報を得て、子どもの意見も聞きながら親が判断します。大人の1/3の量です。そして、親が同伴での接種となります。

 

さて、今日は個性尊重か学歴か?という、答えが1つではない話です。

 

私のようなおやじ世代だけでなく、多くの大人は「社会に出れば『学歴』だけで人生が決まるなんてことはない」ということを社会人として仕事をしている中で、感じています。

でも、「わかっているのに・・・学歴信仰に翻弄されてしまう」人も、また多いのです。

 

今年の入試シーズンには、驚くべき事件が起きました。1月15日、大学入学共通テストが始まろうとするその時、東京大学弥生キャンパス前の路上で、高校2年生の少年が、受験生2人と70代の男性を切りつけたのです。少年は「医者になるために東大を目指したが、約1年前から成績が上がらず、自信をなくした。医者になれないなら自殺しよう、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた」と供述したそうです。

 

極端な例ですが、「学歴」という言葉の重みを意識せざるを得ない事件です。多くの若者が、受験で人生が決まってしまうと、大きなプレッシャーを背負って生きていることを感じます。

 

これらの根底には、親の漠然とした「不安」や「焦り」があるのかもしれません。自分の子どもにとって、適切なアプローチは何か、ということがわかっていれば、まわりの情報に振り回されることないのです。

 

「勉強をして、名のある大学に行けば、その先に『安心』がある」と思う親は、我が子へのビジョンも感じられませんし、子ども自身が何が得意で、何をやりたいのかを理解していないのです。

 

あの将棋界の若き大スター藤井聡太さんが「高校を中退して、将棋に専念します」と宣言しても、誰も「高校ぐらいは卒業しておきなさい」なんて言わないですね。藤井さんのビジョンが明白だからです。そこに学歴はいらないのです。

 

昭和世代のおやじである私の大反省は、大学時代の仲間と飲んだ時に出る話で「この勉強頑張ったなぁ~」という会話が一度も出ない事です。勉強以外学ぶことが多かったのは事実ですが、いったい、何のために大学に行ったのか!?と思いますね。

 

最近は、「不登校」に対して、昔は100%ネガティブな捉え方だったのが、不登校を経験して世の中で成功する人が現れると、価値観も変わってきています。

 

では、我が子が、自分の得意分野を見つけるのは、意外にも難しいことが多いのです。親が「実はそれがすごいんだ!」と認め、声かけをすることで、子どもの自己肯定感が上がるのです。保育園での園長の仕事は、子ども自身の長所を意識させることでもあり、親に対しては、親が気がつかない子どもの長所を伝えることでもあります。

 

月末に、園長が保護者にフィードバックする「子どもたちの成長記」は、まさに、そんなことを意識して書いています。もちろん、短所もありのままに伝えています。

 

どうですか・・・我が子にこの道を歩ませたいと明確なビジョンをもって、受験させるのもよし、我が子の得意分野を見て、その道への近道を考えるのもよし、そして、何よりも子ども自身が「こうしたい」を言えるような環境を作ることが大切ですね。

 

はい。今回も答えは1つではありません。