保育園では、イシガメ・クサガメ・ミドリガメにウーパールーパー、アカハライモリ、メダカ、カブトムシ、カタツムリなどなどを飼っています。生き物を飼うことで、命の大切さを感じてもらうことを目的にしているので、最近では、リクガメのかめきちの墓のまわりに、冬に生まれて死んでしまったモンシロチョウや、カマキリの卵から生まれてすぐに動かなくなった赤ちゃんカマキリの墓を子どもたちが作って、屋上遊びの前に手を合わせています。
子どもたちへの指導は「動物の命は大切にするべきだ」がセオリーです。ペットを安易に捨ててしまわないように、今年6月には「改正動物愛護法」が施行され、ペット店で販売される犬や猫に、マイクロチップの装着が義務付けられます。
その一方で、私たちは動物の命を奪い、「おいしい!」と食べてしまう。その矛盾をどう納得すればいいのか。子どもたちには、どう説明すればいいのでしょうか。
日本人が食事の前に「(命を)いただきます」という意味を説明すると、多くの外国人は素晴らしい習慣だと驚くそうです。フランスでは「ボナペティ(おいしく召し上がれ)」と、食べ物でなく人に対して言うだけです。多くの国がそうです。食べの物としての肉と、命しての動物が、日本に比べると離れているのです。もちろん、文化の違いです。
子どもたちに、動物としての命とそれが食べ物になり肉になるということを考えてもらうには、食べるために動物を殺す、その過程が『見えない』ことが、1つ問題だと言われます。例えば、金属バットを持った人が公園で猫をたたいて殺していたら『やめて!』という感覚を持ちますね。見えているからです。食肉処理場の様子は見えないので、スーパーで並ぶ売り物の肉からは、動物の命が伝わらないのです。
ホワイトきゃんばすから車で20分ぐらいの場所に「榎本牧場」があります。土曜日には、よく子どもたちを連れていくのですが、生まれたばかりの赤ちゃん牛を見ながら、オスの場合は、「この牛はミルクを出せないので、もう少し大きくなったら、牛肉として食べてしまうんだよ」メスなら「ミルクがでなくなったら、お肉になって食べられるんだよ」と話します。すると、子どもたちは「そんなのかわいそうだよ!」と必ず言います。「でも、みんなハンバーガー食べるよね。焼肉だって大好きでしょ」と話します。
命の大切さとその命をいただくことをどう感じるのかは、子どもたちそれぞれで違うことですし、バラバラでいいと思います。ただし、親子の会話の中で、食卓で食べている肉や魚が、どういった過程でここにあるのかは、きちんと教えたいですね。あとは、子どもたちが自分で考えればいいのです。