大人だって・・・遊び心を大切に

幼児教育の世界では、子どもにとって一番大切なのは、「とことん遊ぶこと」とよく言われます。遊ぶことで集中力が養われ、子ども同士のコミュニケーションも育まれます。ところが、大人になっていくにつれて、「遊び」は、不真面目なものと捉えられるようになっていきます。子どもから見れば、矛盾しているのかもしれませんね。

 

20世紀を代表する歴史学者「ヨハン・ホイジンガ」は、人間の活動の本質は遊びであり、遊ぶことで文化が出来てきたといいます。遊びに特有の心の動き、いわば、遊びの精神を通して人や社会を見ると、違った理解ができて心豊かになるのではないか。と提案しています。

 

保育園の子どもたちを見ていると、大人の私は「はっ!?」と思うことが度々あります。泥や砂や木の実などで料理ごっこをする子どもたちが、「はい、カレーができました食べてください」と言われて食べれば大変なことになります。でも、「これって、泥のカレーじゃん」と言ってしまうと面白くありません。遊びには、ウソだけど本当というような両面があり、子どもたちは暗黙の了解で、それを受け入れます。大人の言い方だと、物事を複数の視点から見たり考えたりしているのです。

 

子どもたちがゲームにはまってしまうのは、勝ったり負けたりするからで、勝ってばかりや負けてばかりでは飽きてしまいます。遊びの精神は、結果がどう転ぶかわからない、不安定な状況を楽しむこととも言えますね。

 

ところが、大人になると、リーターンよりもリスクを考えてしまう傾向になります。なぜなら、PCやスマホなどで、行動に必要な情報が簡単に入手できるようになり、失敗を極度に恐れるようになったのです。

 

私のような昭和世代のデートでは、ある程度は、彼女の趣味情報はインプットするものの、行き当たりばったりで、大成功も大失敗もありました。ところが、今のデートは、事前情報もデート計画もスマホなどのアプリでバッチリ・・・でも、失敗はしないけど、ありきたりで大成功にはならないことが多いですね。

 

ジグソーパズルを楽しむ場合、大人は、まずは、一辺が直線になっている枠部分のピースを集めて、外枠から完成させるというセオリーで組み立てますが、子どもは、絵の柄を合わせて、何となく組み合わせていく中で完成させてしまうことがあります。どっちが遊び心があるかといえば、子どもの方に決まっています。

 

人生のほとんどが、計算通りにはいかないこを考えると、やっぱり、何が起こるかわからない状況で大切になってくることは、遊び心からくる柔軟性かもしれませんね。私は、毎日のように子どもたちから学んでいますが、みなさんも、自分が子どもの頃を思い出してください。我が子の遊びをじっくりと観察してみてください。

 

人生を楽しむだけでなく、人生を乗りきるヒントが隠されているような気がします。