真珠湾攻撃

朝、登園した4歳男の子が、「えんちょうせんせい・・・たいへんだ!モンシロチョウがいるよ!」と大騒ぎです。近くにいた4歳女の子も目を輝かせて、飼育ケースの中を覗きます。保育園で飼っていた「アオムシ」がサナギになり、モンシロチョウに羽化したのです。セミと同じように、サナギから出てくるのは、夜中なのでしょうか。まだ、一度もサナギから出てくる瞬間を見たことがありませんが、子どもたちは、ワクワクした気持ちになったようです。

 

もう一つ、今日はいいことがありました。年少3歳児の男の子が、自転車に乗れるようになりました。年少園児11名の中で、まだ乗れない2人の心にも火がつきました。ますます練習のピッチが上がります。子どもたちの影響力は凄いですね。

 

さて、昨日12月8日は、日米開戦のきっかけとなった、「日本軍の真珠湾攻撃」から80年の節目の年でした。アメリカから見れば「リメンバーパールハーバー」です。昨夜はNHK「歴史鑑定」の番組を見ていたのですが、わずか80年前のことですが、「死」に関する考えがこんなにも違うものかと、愕然としました。

 

一枚の写真には、真珠湾攻撃を実際に行った、若き戦闘員9名が写っています。しかし、その中の一人が、白く塗りつぶされているのです。「どうして?」と番組が調査をすると、写っている8名は、「お国のために戦死」した面々で、白塗りの人物は、捕虜として捕まり生き延びたことがわかりました。

 

当時の戦闘員への教育は、「国のためにお前たちの命がある」「捕虜になるくらいなら自決せよ」だったのです。白塗りの戦士は、捕虜になると、アメリカ軍に対して「私を殺してくれ」と何度も頼むのです。捕虜として生きる自分は、日本の恥と考えたからです。

 

そして、終戦となり、日本に送還された彼は、人生を変える人物に出会います。先の日露戦争で捕虜となり帰国後僧侶となった男に、「生きること」を学びます。ここで、初めて、自分の命の重さや大きさに気がつくのです。命は、国や戦争のためにあるのではなく、自分のためにあるものだと。そして、どんなことがあっても、生きることを選択したのです。

 

わずか80年前です。長い歴史のスパンで考えれば、つい最近の出来事です。しかし、この時は、戦争へ向かう若者に「絶対に生きて帰ってくるんだぞ!」と人前では言えない時代だったのです。「お国のために命を捧げなさい」と教えられたのです。

 

私は、広島の原爆資料館や、特攻隊の出発地であった、鹿児島県知覧の資料館で目にした、言葉にできないくらいの辛く重たい気持ちを感じた経験がありますが、昨日テレビでみた「白塗りの戦士」にも愕然としました。

 

子どもたちには、わずか80年前の日本の「死」に対する考えを伝えなければなりませんね。そして、命の重さを・・・。