「対話する力」を身に付ける

昨日のブログで、幼児教育について触れましたが、保育園の環境は、集団生活ですので、遊びもケンカも含めて、子ども同士のコミュニケーションが普通に行われます。昨日の保育園では、2歳児と1歳児の女の子二人が、おままごとをしていました。普段は言葉も少ない二人ですが、「お皿を持ってきて」「うんわかった」の会話が聞こえてきました。このシーンは、まさに、コミュニケーションの原点です。

 

日本の伝統的な文化として、「分かり合う文化」「察し合う文化」を背景とした「温室のようなコミュニケーション」が現実的にはありました。私のような昭和世代では、一致団結や全員参加など、同じ方向を向くことが良しとされ、そこからはみ出すことが許されない社会の中で生きてきたと感じる人が多いと思います。

 

簡単に言えば、「価値観を一つにするコミュニケーション能力」には、みんな一緒が都合がいいですね。しかし、すでに日本でも、「多様な価値観を認めるコミュニケーション能力」が必要になってきました。ここで、必要なのは、違いを認めなければいけないので、「対話する力」が求められるのです。

 

「暗黙の了解」とか「あうんの呼吸」とか、対話なしに分かり合えることが、美徳だった時代はすでに終わっていて、「ちゃんと話さないと分かり合えない」ことから出発するのが、今の時代です。

 

これからの子どもたちには、ますます「対話する力」が重要になってくることは、間違いありませんね。ホワイトきゃんばすでは、卒園児の小学生も含めた異年齢のタテの関係の中で、年下の園児が何とか先輩たちの話についていこうとする姿がよく見られます。

 

また、園長は、屋上へ遊びに行くときに「園長先生くつしたをはいたほうがいいですか?」と園児が聞くと「それは○○君が自分で決めなさい」と突き放します。自分で考えることを習慣にしたいからです。自分の考えがある人は、相手の考えを理解できるようになるので「対話する力」が身に付きます。

 

どうですか・・・あなたが親であれば、我が子の「対話する力」をどうやって身に付けさせるかを考えてみてください。