「考える」「選択する」

運動会が終わると、屋上では「自転車免許証」をもらおうと、子どもたちの自転車練習がスタートします。寺子屋園児23名のうち、まだ免許がないのは、寺子屋3番年少園児7名です。ここ数年は、3月末の年度末までに、寺子屋園児は全員自転車に乗れるようになっていますが、今年度は、どうかな?ですね。なんせ、年少園児の数が多いので。

 

今日は、年少女子4名が、補助付き自転車やストライダーで練習に励みます。園長だけでなく、年長園児も指導にあたってくれました。毎日、少しずつ頑張っています。

 

さて、今日から、首都圏も時短営業の依頼が解除され、限りなく日常に近い状況になっていきます。夜のニュースでは、酔っ払いのサラリーマンを新橋駅前あたりでインタビューするアングルが想像できますが、私も来月に、3人の飲み会を行うことにしています。もちろん、積もる話や大事な話がありますが、バカ騒ぎはしませんし、たちの悪い酔っ払いにもなりません。飲酒の新たなマナーが、コロナ禍で生まれるのでしょう。

 

ここに来て、感染者数は激減していますが、学校では、この秋の運動会や修学旅行の中止を決定したところも多いです。まさに、苦渋の決断だったことは間違いありませんね。

 

コロナ禍が推し進めたものの一つに、皮肉にも「考える」「選択する」行為があります。

 

出社するかリモート勤務とするか・・・

学校で授業を受けるかオンライン学習にするか・・・

ワクチンを接種するか否か・・・

外出するか自粛するか・・・

イベントを開催するか中止にするか・・・

 

私たちは、さまざまな情報を基に考え、行動を決める日々を過ごしています。コロナ禍では、変動性・不確実性・複雑性・曖昧性・・・という4つの言葉で表現されるように、「予測困難」「複雑で曖昧」な中で、私たちは、考えて、選択してきたのです。

 

学校の授業も、「教える」だけではなく、「子どもが問いを立て、自ら学ぶ」に転換しなければなりません。コロナ禍では、これまでの「慣例」や「常識」を子どもたちが見直す、いい機会になれば・・・と考えたいですね。