45年前の伝説の「世紀の一戦」

今日は、屋上ファームの収穫に、子どもたちは大忙しです。真っ赤になったミニトマトを食べてパワー注入してから、いよいよ、今季初収穫の「インゲン豆」です。この週末で、一気にドジョウのような形の豆に成長しました。

 

「大きくなったインゲン豆をとるんだよ。小さい赤ちゃんはまだとらないで・・・」と口で説明しても、子どもたちの大きい小さいのモノサシはバラバラです。いつものように、赤ちゃんインゲン豆が収穫されてしまいました。(笑)バケツ一杯も収穫できたので、今日は子どもたちのお土産です。野菜嫌いの園児でも、自分で収穫した野菜は、なぜかモリモリ食べるのです。

 

さて、今から45年前の1976年6月26日にあった伝説の試合を覚えていますか。「プロレスラーのアントニオ猪木VSボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリ」です。当時、小学生だった私は、食い入るようにこの試合をテレビで見ていました。

 

1ラウンド3分で15ランドのボクシング形式での試合となりました。手に汗握る攻防を期待していた私は、ずっと猪木がリング上に横たわり、アリの足をキックするという退屈な展開となり、勝負はドローに終わりました。試合翌日には、あらゆるメディアから「世紀の凡戦」と酷評され、ファイトマネーをめぐって、アントニオ猪木の新日本プロレスは、借金地獄に陥ったのです。猪木は、当時の妻であった女優の倍賞美津子さんに食べさせてもらうという生活です。

 

これには理由がありました。モハメド・アリは、世界的スーパースターでしたが、アントニオ猪木の知名度は世界ではほとんどありません。この試合を実現するために、がんじがらめのルールをアリ側から、要求されたのです。「これをのまないと試合はしない」と。つまり、猪木にスタンディングでの試合が禁じられてしまったのです。プロレス技のバックドロップもブレーンバスターも猪木は使えません。しかも、関節技もノーとされたのです。

 

45年の時が経過した後、1本のテープが公開されました。2016年に死去したモハメド・アリの肉声です。その中で、最初は、エキシビションマッチを望み、それを観客に公開することを望んだのです。世界的スーパースターのアリが、負ける危険を冒して猪木と真剣勝負をするはずがないと、まわりも考えていました。しかし、アリはこのテープでこうも言っていたのです。

 

「リアルでやると言うのなら、俺たちはリアルでやる。猪木がベストを尽くして、俺をホールドすることができるかもしれないし、俺も猪木をノックアウトするかもしれない。そして、リアルでやる場合には、向こうに伝えてもらいたい。その場合は、床に寝転がるとか、やっていいことと、いけないことについての規則が課せられるということを」

 

そして、この試合は、リアルファイトとなり、猪木に一方的に不利なルールが課せられたのです。試合後、モハメド・アリは、この無名のアントニオ猪木をリスペクトするのです。

 

アントニオ猪木は、現在「心アミロイドーシス」という難病で入院生活を送っています。彼のツイッターでは10万人以上のフォローワーを持っていますが、猪木自身がフォローするのはただ一人。他ならぬモハメド・アリだそうです。

 

猪木は、毎年「6・26」が近づくと周囲にこう語ると言います。「時がすべての裁判官だよ」と。45年前は、世紀の凡戦と酷評された試合が、時が経つにつれて、高く評価されているのです。

 

今日は、私の趣味の世界につき合っていただきありがとうございます。わかりました?