銭湯ペンキ絵

昔ながらの銭湯につかって、雄大な富士山の絵をぼっ~と眺めたのは、いつの頃だったか・・・なかなか思い出せませんね。保育園の子どもたちは、いわゆるスーパー銭湯的な施設には行ったことがあっても、昔ながらの銭湯に行ったことはないかもしれませんね。

 

全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(こんな長い名前の組織はいかがなものか?と思うほど長いですね)によると、全国で組合に加入する銭湯は今年4月現在で1,964軒だそうです。ピークは1968年、最初の東京オリンピックの4年後…高度成長期後半の昭和43年の1万7999軒で、ざっと1割になってしまいました。

 

今日は、銭湯ペンキ絵の話です。現在、銭湯ペンキ絵師は3人しかいないそうです。その一人、田中みずきさんは、5月に「わたしは銭湯ペンキ絵師」という本を出しました。これまでの自分の歩みと、ペンキ絵の歴史や展望をつづっています。

 

田中さんは、年に20~30ヶ所、横10メートルほどもある大きな壁一面に「銭湯が休みの日に朝から一気に描き上げるそうです。

 

銭湯のペンキ絵は大正時代初め、東京の銭湯が男湯に富士山、女湯に電車や船を描いたのが始まりとされています。銭湯背景画と呼ばれ、東京を中心に広まったそうです。定番は富士山ですが、地方ではタイル絵や何も描かない銭湯も多いとのことです。

 

あの太宰治は「富嶽(ふがく)百景」で、「これは、まるで、風呂屋のペンキ画」と書いています。太宰は、高尚な芸術作品として見ていたのです。

 

銭湯ペンキ絵師の田中みずきさんの名刺は、裏に「Not『アート』But Paint」という言葉が刷られています。かつて、銭湯のペンキ絵が芸術か否かについて意見を交わした時、半ば冗談で口にした言葉だそうです。「高尚な芸術ではないかもしれないけど、これは確かに絵だ」といった意味のようです。

 

なんだか、銭湯で熱い湯に入り、ペンキ絵をぼっ~と眺めたくなりました。私は、熱い湯が苦手なので、ぬるま湯でじっくりと見ていたいですね。さいたま市なら・・・どこに昔ながらの銭湯があるかな?