「ドラえもん」の藤子・F・不二雄さんが、今から50年以上前の1969年に発表した「ミリタウロスの皿」は、人間の価値観や文化的な交流の困難さを描いた名作として知られています。ストーリーは・・・
宇宙空間で遭難した主人公の男は、地球によく似た星・イノックス星に不時着します。そこでは、牛に似た姿の種族が、人間に似た姿の種族の「ウス」を家畜として飼い、支配していました。主人公は、ウスの娘・ミノアに助けられ好意を抱きますが、ミノアは大祭の祝宴にいけにえとしてささげられることが決まっていました。
驚いた主人公は、ミノアを説得しようとしますが、彼女は「最高の名誉」だとして悲しむそぶりもありません。主人公は、有力者を説いてこの残酷な風習をやめさせようとしますが、何千年も続いてきた風習を疑問に思うものはいません。大祭の当日、主人公は総督に対して長時間の熱弁を振るうが聞き入れられず、結局ミノアを助けることはできませんでした。
主人公は、ミノアを解放するための根拠として、ウスを食べることは「残酷」であると説きます。しかし、支配者たちは家畜を食べることは彼らを敬うことにつながると説明し、ミノアたちもそれを信じて疑わないのです。
私たち人間が、牛を食べることと全く同じ考えであることを、藤子・F・不二雄さんは風刺しているのです。主人公は、相手が他人の立場を考えず話が通じないと嘆くのですが、「自分が正しい」という前提を疑うことはせず、一方的に主張を押し付けます。藤子・F・不二雄さんは、これでは、真の意味での「対話」は生まれ得ないことを鋭く指摘しているのです。
現実の社会でも、こうしたすれ違いはよく見られますね。対話を成立させるためには、文化的な背景の違いを含め、自分自身の価値観を疑うという態度をもてるかどうかにかかっています。
私も、相手を思いやっているようで自分の主張を押し付けていたことがあったかもしれません。これができれば、世界から戦争も紛争もなくなるのでしょう。とても難しい問題ですが、様々な価値観の違いが、軋轢を生んでいることを受けとめないと・・・ですね。