「利休」が求めた新しい価値

先日、子どもたちが蒔いたインゲン豆の種が、芽を出しはじめました。そして、昨日は、大玉スイカの苗を3つ、2歳児の園児と植えました。毎年スイカは雑草まみれで、ほったらかしにしてしまうので、今年は、マルチシートの上にきちんと植えます。目的は、屋上プールでスイカ割りを楽しむためです。こうして、ファームの夏野菜もグングン成長しています。

 

さて、今日は「千利休」の話です。利休が最初に仕えた信長と宣教師との対面の場面で、地球儀を手にした信長が、球形の世界を眺めて「大地に果てはない」と語ります。利休は、この時、既成の価値にとらわれず想像する人生を意識したと言われています。

 

その後、秀吉に仕えた利休は、秀吉の好みに合わせて「黄金の茶室」を造ります。しかし、利休が求める価値は「侘び茶」であり、絢爛豪華を好んだ秀吉と、「これ以上は削りようのない美しさと緊張感が共存する」ような侘びの世界を作り上げた利休では、「価値観」がまったく逆です。そして、秀吉に切腹を命じられる利休へとつながっていきます。

 

利休の「一輪の朝顔」の逸話は有名です。利休が庭に咲き誇った朝顔が見事なので、秀吉を「朝顔を眺めながらの茶会」に誘い、秀吉が「利休が誘うほどだから、さぞかし見事な朝顔であろう」と期待します。しかし、秀吉が利休の屋敷を訪れると、朝顔は全てその花を切られています。そして、一輪だけ、茶室に朝顔が飾られていたのです。一輪であるゆえに、侘びの茶室を見事に飾っていたのです。

 

これが、利休の美学ですが、秀吉に対して「幾万もの首を刈り取り、一人で咲いているのが、あなたである」という挑発ではないかと、真意はともかく語られています。

 

リーダーが組織や集団を導こうとする時、新しい価値を示して意欲を喚起する必要があります。教育の世界に当てはめると「社会に開かれた教育課程」「主体的・対話的で深い学び」が、直近の理念です。

 

ただし、リーダーは、この理念を自分の言葉で説明しないと、なかなか人が付いてきませんね。人それぞれに価値観がたくさんあるのでしょうが、その新しい価値を言葉にすることは、大切なことです。