昨日、今日と卒園児のピカピカの一年生が、ランドセル姿で保育園に遊びに来ました。「1年〇組になったよ・・・先生の名前は、○○先生という女の先生だよ」と、報告してくれます。在園児が、すぐに集まってきて、ランドセル姿の卒園児と記念撮影をします。在園児にとっては、つい最近まで一緒にすごした先輩たちが、とても輝いて見えたようです。
さて、昨年亡くなった、アメリカの連邦最高裁判所の判事、ルース・ベイダー・ギンズバーグさんは、差別に毅然と立ち向かう多くの言葉を残しています。「女性は意思決定が行われる全ての場所にいなくてはなりません」と彼女は言いました。
東京オリンピックは、ジェンダーフリーの象徴的な大会にしようと動いているので、私たち日本人は、あらためて男女平等の考えを強く持っていますね。
しかし、一方で、こんなデータもあります。(2020年5月時点のデータ)
大学全体の女子学生比率は45.5%だそうです。この数字を見ると、大学生の男女比率は、ほぼ半々にまでなったと言えます。しかし、東京大学の女子学生比率は19.4%とかなり低いのです。
戦前と違って、全国のどこの大学の受験機会も男女差なく開かれています。男女別人数を公表している京都大学のデータによると、試験の合格率は男女ともにほぼ同じです。違うのは受験者数で、男子5477人に対して女子は1628人でしかないそうです。京大も東大同様、受験する段階で、その人数に大きな性差があるのです。
これは、「女子は男子に比して、難関大学に挑戦する生徒が少ない。教育社会学の用語で言えば、事前に『自己選抜』している」と分析できます。
「女子は高みを狙わなくてもいい」という周りの暗黙の圧力があるのかもしれませんね。能力には性差がないのに、女子は自身の才能を十分に開花するチャンスを奪われているのかもしれません。これぞ、ジェンダープレッシャーです。
この数字も、これから改善されて、当たり前のジェンダーフリーの世の中に、日本も早くなって欲しいですね。