昨日、子どもたちが「だるまさんがころんだ」で遊んでいたのですが、鬼の6歳女の子が「○○ちゃんの目が動いた!」と言った時は大爆笑です。「○○ちゃん」も、「目が動いたなんて・・・そんなのなしだよ」と大笑いです。私の「だるまさんがころんだ」の中で、最高傑作です。(笑)
さて、かなり昔の1982年の話ですが、埼玉県の所沢にプロ野球球団「西武ライオンズ」が誕生して、ついに、日本一となり、そこから10年以上も西武ライオンズの黄金時代が続きます。広岡監督が就任し、エースが東尾修です。
東尾投手は、ストレートはせいぜい135キロくらいですが、内角攻めと抜群のコントロールで、西武ライオンズを優勝に導いたのです。今は時効ですが、わざとデットボールを狙ったこともあります。歴代の死球数では日本一です。コントロールは、当時パリーグナンバーワンと言われていたのに、死球も一番なんて、矛盾です。(笑)
彼は、豪速球が投げられない自分の力で、いかに勝利する方法を実践していたのです。ケンカ投法とも揶揄されましたが、とてもクレバーな投手です。
私が、学生時代に、西武ライオンズ球場で「ホットコーヒーにハンバーガーはいかがですか!」と大声で叫んでいました。翌、1983年に「西武VS巨人」の伝説の日本シリーズがあったのですが、3勝3敗で迎えた第7戦・・・私は、西武の日本一の瞬間を球場で見ていました。マウンドに立つのは東尾修です。
当時はすでに、先発・中継ぎ・抑えという、投手起用の分担制は確立されていたのですが、広岡監督が、シーズン中はエースとして先発を任せていた東尾投手に、中継ぎからのロングリリーフを命じたのです。この中途半端な前例のない仕事を東尾投手は、見事にこなし、西武ライオンズの黄金期をスタートさせたのです。その後、秋山・石毛・工藤・清原・辻とそうそうたるメンバーが西武ライオンズを引き継いでいくのです。
この中継ぎからのロングリリーフという投手起用は、その後、どこの球団でもどの監督でもほとんど行われていません。私は、東尾投手の映像を見るたびに「ロングリリーフ」の記憶と西武球場でのアルバイトを思い出します。(笑)
この通常とは違うこと・・・新しいこと・・・6歳女の子が、「だるまさんがころんだ」で、「目が動いた!」というフレーズも同じですね。保育園の子どもたちを見ていると、まだ小さい頃は、人のマネをたくさんします。特に、年上の園児への憧れが強いです。それが、だんだんと「自分」を確立し、中には、人と違うことにこだわる園児も出てきます。「○○ちゃんのマネなんかイヤだよ」と。そんな園児は、きっと将来大物になると思う園長です。