私が中学3年の時に、社会科が日本史・世界史・地理・倫理社会の4つから2つを選択だったのですが、一番人気がない「倫理社会」を選びました。倫理社会の先生は、とても個性的で、過去の哲学者の名言など、中学3年生にとっては、退屈な授業になりがちですが、この先生の授業が楽しくて、どんどんはまっていきました。
昨日、最終回だったNHKのドラマ「ここは 今から 倫理です」でも、個性的な教師の導きで、倫理社会の授業から、学ぶことの楽しさを見つける生徒の姿が描かれていましたね。
最終回の講義では、パスカルの「人間は考える葦(あし)である」でした。生徒たちが、丸くなって話し合うシーンでは、もちろん「こうあるべき」という結論はでません。しかし、それぞれの意見や考え方の違いを感じることで、当事者は、自分で答えを出すのです。
私は「人間は考える葦である」という言葉は、倫理社会の先生に教えてもらった中でも好きな言葉の一つです。保育園の屋上の池には葦があるのですが、この葦を見るたびに、この言葉をつぶやいてしまいます。(笑)
パスカルはこう言います「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。よく考えることを務めよう。ここに道徳の原理がある」
寺子屋で始めた「てつがくの時間」は、私の予想を超えて、子どもたちの様々な意見が飛び交います。まだ、5歳6歳だというのに、凄いことだと思っています。そして、子どもたちの意見を聞くことは、心地よい時間となっています。
私が民間企業で働いていた時は、会議でも商談でも、自分が考える結論に持っていこうと必死になっていたような気がします。もちろん、ビジネスの世界では悪いことではありません。しかし、子どもたちとの「てつがくの時間」では、想定外の展開に喜び、結論がでないことを楽しんでいます。
そして、子どもたちは「考える葦」になっているのです。