今は、受験シーズン真っ只中ですが、「この子の親からは、寄付金が多く見込まれるので、下駄を履かせて合格させた!」なんてことは、あってはなりませんね。
この「下駄を履かせる」という言葉は、どちらかというと、悪いイメージに受け止められることが多いです。下駄を履くと背が高くなることが、言葉の意味の語源です。
「下駄を履かせてもらってでも、点数をよく見せたところで、自分のためにならない」
「女子生徒の方が成績が優秀だったのに、男子生徒に下駄を履かせて合格させた」
「就職が内定しているのに、留年しそう・・・下駄を履かせてもらって卒業できた」
「強度の測定値を下駄を履かせてごまかして、商品化した悪徳メーカー」
「生徒の点数が期待外れ・・・教師のメンツのために下駄を履かせて点数を盛った」
こんな感じで、「悪いことの手本」のように、言われることが多いのが現実です。
大人の世界においては、「下駄を履かせる」ことで、いいことにつながることは、あまりないのかもしれませんが、保育園の生活の中では、私は、たびたび子どもたちに下駄を履かせます。
屋上での「30メートル走」のタイム・・・遅くて、自信を失いそうな園児には、下駄を履かせて「○○ちゃんの記録まで、あと〇秒・・・もう少しだよ」と励まして、「園長先生・・・もっと頑張ってみるよ!」を引き出します。
お昼の勉強タイム・・・10マス計算では、全問正解しなくても、やり直して正解すれば、はなまるで100点と用紙に書きます。特に、小学生になってから学ぶ内容については、保育園では「勉強は楽しい・・」という経験をさせることが大切なので、「はなまる100点をもらった!」ということが、子どもたちの「継続」につながるのです。
私たち大人は、子どもたちに、時には、うまく下駄を履かせて、やる気スイッチをオンにさせたいものですね。もちろん、乱発はダメですよ。(笑)