今日の屋上は、北風が凄い勢いで吹いていました。キックボードで、自転車軍団の子どもたちを追いかけていると、追い風の時は、風の力だけで前に進みます。子どもたちも、追い風と向かい風の違いを体で覚えるのです。
さて、大河ドラマ「麒麟がくる」も、あと2回で最終回です。コロナ禍で、4月から6月までの撮影が一時中断し、異例の越年での放送となりました。これも、全44話で1つの作品と考えれば、短縮はできないという判断ですね。
「本能寺の変」は、信長を光秀が襲い、自害に追い込んだ事件です。その動機については、「信長に対する恨み」「突発的な行動」「将軍・足利義昭が黒幕」「四国政策を巡る対立」など、諸説ありますが、光秀は、主君を裏切った「謀反人」と伝えられています。しかし、「謀反人」という人物像は江戸時代に創作され、後付けで悪党にされたという見方があるようです。
今まで、大河ドラマだけでも15作品で「本能寺の変」が描かれ、時代劇全般では、数えきれないほど、「悪党」という立場の明智光秀が登場したことになります。
私の仲間に「大河ドラマ評論家」がいます。彼の評論を勝手にこのブログに掲載したこともあります。(笑)彼曰く、「もう戦国時代を扱った大河ドラマには飽きたけど、今回の脚本は池端俊策氏だ。やっぱり、おもしろい。本能寺の変をどう描くか、楽しみだ」と言います。
池端脚本の明智光秀は、悪党とはほど遠い人物として描かれています。無益な殺生を好まず、戦のない大きな国を作るという夢を持っています。「光秀には時代を分析する知的な部分があり、それは現代人の目で見た感覚と同じ。だから、光秀は『自分だ』と思って書きました」と池端さんは語ります。
光秀は、天下を左右するほどの武将でありながら、いつどこで生まれたのか、40歳頃までの記録がほとんどありません。よって、青年期の物語は、ほぼフィクションだそうです。そんな池端氏の主人公象によって、私も光秀にどんどん肩入れしたくなってしまいますね。
「謀反」ではなく、「やむを得ず信長を討った」という解釈が、どのように描かれた最終回になるのか・・・あと2回、日曜日の夜が楽しみで仕方ありません。