保育園の子どもたちを見ていると、そこは「トラブルの宝庫」です。今日も、些細なことで、寺子屋園児の男の子同士がケンカをしています。これが、小学生になると、些細なことが少しずつ複雑になってきます。
でも、大人になれば、全ての人とわかり合えるようになる・・・なんて、絶対にありませんね。
私が社会人になっったばかりの頃、大先輩から、「人間同士のトラブルが発生しても、話し合えば必ず解決できる」と教えられました。あまりにも熱く語るので、私も、「話し合えば分かり合える」と信じて行動してきたつもりですが、残念ながら、分かり合えない人に何人も出会ってしまいました。もちろん、相手からそう思われていることだってあるでしょう。
「なんで分かってくれないんだ!」「いちいちウルサイよな!」とイライラしたり、自分の頑張りがどうしても理解してもらえないもどかしさや、時には、努力をマイナスに評価されたという経験は、誰しも持っているかと思います。
こんな時に、「どうして、この人は悪意に満ちているんだ」なんて、思ってしまいますね。でも、こんな、スッキリする考え方があります。
人間関係は、「善意と悪意がぶつかるからややこしくなる」ではなく、「善意と善意のぶつかり合いだから、人間関係はこじれる」と考えるのはどうでしょうか。
「正義は一つ」でも「正解は一つ」でもありません。正義も正解も人の数だけあると考えます。そして、互いに「正義と正解」に基づいて善意で行動するからこそ相手を理解できないのです。
こう考えると「分かり合えないのが人間の普通」と軽く思えるようになりませんか。ただし、人は、自分とウマが合う人間を見つける能力に長けているので、実は、自分のまわりには、自分をわかってくれる理解者、応援者がたくさんいるのです。