8月も終わりに近づいているものの、今日も危険な暑さです。屋上プールでは、二人乗りのボートを出して、大きいプールに浮かべます。ボートに乗る園児とゆらす園児と大いに盛り上がりました。ちょっとした、激流アトラクションとなりました。
さて、ある校長先生のボヤキです。「これで何度目のやり直しだろうか。考える気力も湧いてこない」これは、修学旅行実施に向けて、開催日や訪問地を何度も検討し、「よし、これで進めよう!」と決断しても、変更を余儀なくされることが続いたそうです。
修学旅行ばかりではありません。ある学校では、「運動会」の開催について検討し、運動会のそもそもの目的から考え直したそうです。その結果、目的を日常の体育授業の公開として位置付け、学級ごとに公開することにしたそうです。
これまで、運動会のために特別な演技を考え、そのための練習を重ねてきた。それを否定するのではなく、「なぜ運動会のためだけに特別な演技種目を考え、練習に時間を使ってきたのかと問い返した時、誰も明確な回答を出せなかった」と議論したそうです。
学級ごとの公開体育授業であれば、保護者は自分の子どもの様子をごく近くで見ることができる。子どもたちが自ら声を掛け合いながら、学び合う姿を見ることができる。我が子のだけの写真も撮ることも可能だ・・・という考えです。
この学校では「私たちはあまりにも固定的に考えすぎてきたのかもしれません」とし、保護者へも、運動会を公開体育授業に変更する考え方を説明したそうです。
この結論が正解かどうか、もちろんわかりません。ただし、いままで当たり前に行ってきたこと…習慣となっていることにメスを入れることは必要ですね。
保育園の運動会は、いつもと違う「非日常」という舞台がミソです。子どもたちは、自由に遊ぶ時間から「練習」という経験を繰り返し、大好きなパパママの前で、その成果を見せるのです。負けたっていいのです。頑張った人が一番偉いというのが、ホワイトきゃんばす流です。
学校行事に限らず、私たちは、自分の仕事のなかに「思い込み業務」があるのならば、この機会に見直したいですね。やめてスッキリ!が意外に多いのかもしれません。